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12月に考えていること。「現実と創作をごっちゃにするな」という言葉について。

noteでしっかり書くのは久しぶりだ。
文章作成の練習を兼ねて、月に一回は書きたい! という心境でやっています。


今月も相変わらず無駄に考えて考えて考えている。
今月になって主に考えていることは、「現実と創作(フィクション)をごっちゃにするな」という言について。

キッカケは……どこから話したものか。
ある創作物がある。物語だ。SFハードボイルドで、主人公は一見ダンディに見える探偵だがその実、女性好きらしく、道中で出会う女性キャラクターの幾人かに対して呼吸をするのと同じようにセクシャルハラスメントを働く。

それは旧時代──昭和も昭和だ──にテレビでよく見たようなセクハラバラエティのような、主人公は鼻の下を伸ばして(時にそれを隠しているつもりで)アクシデントなんだよという"仕草"で胸にタッチし、乳房が弾む。ボヨヨン、といった効果音までついて。

言ってしまうと、そういう表現を含んだとあるゲームがあって、実況がなされたわけなのだ。その表現に対して、楽しむリアクションから「これは無理」とハッキリ拒絶するリアクションまで様々なグラデーションが見て取れた。


■セクハラシーンを否定するリアクション
これはひどい
人としてどうかと思う
セクハラじゃん
こんなの見たくない、要らない
進行する上で避けられないセクハラ以外のセクハラシーンはいらない
性別関係なくこういうシーンは不快
実際にセクハラ被害に遭ったから、ああいうシーンはつらい


■セクハラシーンを肯定するリアクション
効果音が面白い
シティーハンターじゃん
セクハラシーン楽しい
エロい
胸揺れが楽しい
古き良き時代のゲームだなあ、今は無理だろうけど
世代によってリアクション分かれるねー(若い人は無理かー)、俺は昭和の人間だから楽しいよ


■場外(特に、「こんなセクハラシーンは無理」という反応を受けてのリアクション)
これだからフェミは
女だけどセクハラシーン楽しいよ
現実と創作をごっちゃにしてんじゃねーよ
今はこういうシーン叩かれるんだよな、今はもう冗談が通じない時代になった、昔は良かったよなあ
お気持ちはわかりますが、ここでは言わなくていいのでは
お気持ちはわかります、お辛いですよね、残念ですが見ないという選択肢もありますので、お心が休まるように試聴を避けることが賢明かと云々


案の定、「これだからフェミは」みたいなのはわかりやすく湧いた。頭が悪すぎる。論外なのでもう取り上げない。

■ここで、俺がメチャクチャ引っかかったのは

①(若い人は無理かー)昭和の人間だから楽しいよ
②女だけどセクハラシーン楽しいよ
❸現実と創作をごっちゃにするな
④冗談が通じない時代になった
⑤ここでは言わなくていい
⑥視聴を避けることが云々



①「昭和の人間だから楽しいよ」
俺も昭和の人間だがまったく楽しくない。
勝手に世代で反応を分けて、昭和時代を生きた奴なら皆楽しめるぞ、と一緒くたにするな! と強く思った。
なぜこういう思考ができるのかが謎だ。

②女だけど楽しいよ
同じ女でこのセクハラシーンを楽しめない者は女じゃない、まで(この発言者の内には)ありそうで、怖くなる。
実際に被害に遭った同性のことを何も考えてない……というか、そういう概念がすっぽり抜けているんだろうな。などと思ってしまった。
「女だけど楽しいよ」。
ならば言えるのはひとつ、「女でなくても不快だよ」。

❸現実と創作をごっちゃにするな
今回の主題。これは後述。

④冗談が通じない世界になった
奇しくも、この反応って上記の「現実と創作を一緒にするな」という反発のアンサーのひとつになっている気がする……。
ゲーム内のセクハラシーンを見て、不快を表明するユーザーに対しての「冗談が通じない世界になった」。ヤバいぞ。こういう人間が一匹出たら3万匹は潜んでるぜ。

あくまでも、セクハラが「冗談で済む」と思ってるのはこの人(の中で)だけだ。多分わかっていないだろうな……。
嫌がっている実際の人間に対して「冗談だよ、これは」。
そうか……お前は現実と創作が混じった世界に生きているニンゲンの一人だったか。

⑤+⑥ここでは言わなくていい+嫌なら見るな
「ここ」というのは、そのゲームの実況動画のコメント欄。なので「配信者の目に入るところで、否定のコメントは要らない」とか、そういうニュアンスだろうと思われる。
「マジレス(セクハラ否定)のコメントを目にした配信者が、実況をやめたらどうしてくれるんだ」というのも見たのだが……おそらく、同じことだろう。
これに関しては「その配信者を好きなようだけど、信頼してはいないんだな」というのが今のところの所感。

次に、真摯な態度で「嫌なら見るな」と言うリアクションは、言い換えれば「君さえ我慢してくれればコトは穏便に済むんだよ」と、少数弱者が犠牲になることを厭わないと言うか……穏便に済みさえすれば多少の犠牲は仕方ない、という思考か。

ここで思い出すのは「トロッコ問題」だ。


トロッコ問題(トロッコもんだい、英: trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題・課題。

   ──Wikipedia - トロッコ問題
( https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C )


迫り来るトロッコ。事故で止める手段がない。線路は先で二手に分かれており、そのポイントで左右どちらかに進行方向を切り替えることはできる。
だがその左右の線路の先にはそれぞれ数人の作業員と、一人の作業員がいる。どちらかを犠牲にするしかない状況だ。
さてあなたはどちらにポイントを切り替える?

という、よく聞く思考実験。
あるいは、学校を始めとして組織の中でトラブルがあって、先生や上司に相談をしてみたら「まあまあ、それくらいならあなたが少し我慢したら済む話じゃない」と逆に諌められる。
理不尽だ。


では改めて主題の──
❸現実と創作をごっちゃにするな

……これを見た瞬間、どう反論していいか悩んでしまった。実は今も悩んでいる。もしかしたら反論は必須ではないのかもしれない。反論するとか、そういう話じゃないのかもしれない……が……。

この文句、かなりいろんなところや場面で言われる文句だと思う。なんなら自分は"言われる側"のような気がする。
それは置いておいて。

セクハラシーンは確かに創作、フィクション世界での話ではある。んだけど……剣だ魔法だのファンタジー事象と違って、実際に起きうる事柄でもあるじゃないか。起きうる、どころか起こっていて被害者も存在している。

ひとつ大事なのは、創作を始めとしてフィクションやファンタジーというのは、現実(ノンフィクション)という基盤がないと成立しないものであること。
それは、なんというか、既に自分達は現実と創作をごっちゃにしながら長い歴史をあゆみ、生きてきたのではないか、ということ。

これはもしかすると、「現実と創作やフィクションをごっちゃにして」──文句を言うな、という"お気持ち"に対しては、「現実と創作をごっちゃにして生きて来ているクセに『ごっちゃにするな』という文句を言うな」でカタをつければいいのかもしれないな。

子供の頃、「大きくなったらウルトラマンになる!」「大きくなったらヒーローになる!」「大きくなったら……」なんて過ごしてきている者が少なくないはずで、創作物に多く触れる日々を過ごしていると、「ああ、今この魔法が使えたらなあ」なんていう想像をすることもあるだろう。
発動するかもしれない、という、あり得ないことへの期待までして、実際に口ずさむ「エクスペクト・パトローナーム」の詠唱呪文、魔法。

古くは丑の刻に暗い森の中、呪いたい相手の髪だなんだを編み込んだ藁人形を樹木にくくりつけて、五寸釘を打ち込んだりしてきた歴史まである(?)。
剣や魔法のファンタジーとはいえ、剣を持って戦った血生臭い歴史は、間違いなく存在している訳で。


12月の考え事も、2022/12/24、今日でいったん区切りをつけよう。
また何か得られることがあれば都度、記事にしよう。

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……ううむ。

いや、創作など表現物に関して、セクハラシーンの存在を咎めたいわけではないんだ。規制しろ、と言うつもりもない。

だが今の時代でそれ(物語の中にセクハラシーンを盛り込むこと)をどうしてもやる・やりたいのなら、冒頭やパッケージに注意書きはして欲しい気はする。

例えば、だいぶ前からPlayStation 対応のゲームとして発売された『バイオハザード』シリーズなどは、「暴力やグロテスクなシーンが含まれています」という注意書きがされるようになっている。
ならば、セクシャルな事柄についても注意書きがなされていても……そろそろ良いんじゃないか?
とみに、双方で合意の上で行われる"セクハラ"でないのならなおさら(それはもうハラスメントではないが)。

物申したいのは、そういう時代は終わったし、そんな「(性別問わず)セクハラが冗談で済むような古き良き時代」など存在していなかったんだということ。
そんな時代はそもそも「良き」時代じゃない。人を傷つけて「良い」時代なんて俺は認めたくない。

「良き時代」だったのはお前の中でだけだし、「冗談が通じてた」のもお前の中でだけだし、「女だけど楽しい」と言うけれどサンプル数はお前ひとりだけだし……「古き良き時代のゲーム」がこんなセクハラゲーで総括されて良いわけがない、というのも申しつけたいんだ。

「セクハラシーンは女性のスタッフも交えてとことんこだわって作られたものなんだ」というコメントも見たのだが、「だから何だというのだろうか?」しか出てこないわけで……ああ、もう愚痴の垂れ流しだ。
「セクハラできます!」という創作者の声にもガッカリした。デスストランディング で初めてその人の作品に触れて、勝手に感動していた俺がいけないんだけどさ!


しかし、他人がどう感じるか、について想像できない人間がこんなにいるとは思わなかったんだ。
想像していたよりもたくさん存在してるっぽい。絶望で頭を抱えそうになる。

(●サリーとアン課題
 https://theprompt.jp/2019/12/theory_of_mind/ )

メリークリスマス。

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赤嶺 臣
死ぬ前に残しておこうかな、くらいのものを書き綴っています。 サポート? やめておいた方がいいよ。