『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #31 『幻のセールスマン』 唐十郎 × 篠原勝之
#31
2024年5月30日の一冊
「幻のセールスマン」唐十郎 作
(角川書店)
古書店はもちろん、大型新刊書店も独立系新刊書店も、本屋・書店という空間がとても好き。気分転換、勉強も兼ねて立ち寄ることはしばしば。ふらりと無目的に立ち寄る本屋で、感覚的に本に触れるとき、言わずもがな「本の顔」である装丁の役割が大きく影響するであろう。
「〇〇と言えば〇〇」といった、作家×作家のコンビネーションが、ファンの心をくすぐる要素として在り得る、と私は見る。
例えば、村上春樹と安西水丸。星新一と真鍋博。寺山修司と宇野亜喜良。寺山修司と横尾忠則。黒柳徹子といわさきちひろ。など。
そんな中でも個人的に、ビリビリと電撃が走るほどに心を貫かれたのが、唐十郎 × 篠原勝之の二者による本『幻のセールスマン』である。
正直に、はっきり言って、これはジャケ買いをした本である。装丁に痺れたのだからおもしろいに決まっている、と私の本を選ぶセンスに自信を与えた。本を手に入れるときの楽しい瞬間の一つである。それくらい単純でもいいと思う。
手には風車、濃紺の電話機の線に絡まりながら、座敷に横たわる裸の女。もはや女の感情などは見えず、女の裸体、と物体的な表現の方が適しているかもしれない。そよぐ髪の毛から、開いた襖の向こうに向き抜ける風の存在を伺うことができるが、遠くにはあまりに鮮明に映る富士山。
鉛筆のサラサラとした質感とパキッと原色で着彩された独特の「篠原タッチ」は唯一無二である。と、克明に言葉にしてみるも野暮なもの。何の具体性もないアバンギャルドで幻想的なイラストレーションはもはや説明など必要なく「感じてみよ」と言わんばかりにこちらの感受性を試してくるのだから、たまらぬ。
半年くらい前に渋谷ヒカリエの Bunkamura Gallery 8/ で、『ジャパン・アヴァンギャルドポスター見本市』というアングラ演劇のポスター展なるものが開催されており足を運んだ。
https://www.hikarie8.com/bunkamura/2023/12/post-4.shtml
寺山修司の天井桟敷や唐十郎の状況劇場をはじめとする、戦後の演劇界を盛り上げたスーパースターたちの作品を一挙に味わうことができたのだが、その中でもやはり私の心臓を貫き、手先足先までを痺れ上げさせたのが唐十郎 × 篠原勝之のポスターたちなのであった。
演劇。脚本、芝居、演出、舞台美術、衣装、音楽など、あらゆる方面の芸術が幾十にも重なって生み出される一つの総合芸術。中でもこれらの演劇を当時リアルタイムで観劇できた人々を私は心底羨ましいと思う。気がつくのが遅すぎたと思う。しかし、装丁、ポスターといったグラフィックは後世まで残っていく。そのおかげで私はこれらの文化を享受することができた。これが印刷物の醍醐味。印刷物として残っていることに喜びを感じることができる。
文学とそのアートワーク。このコンビネーションが、私たちをその物語の世界へと深く誘ってくれて、次々と広げてくれるきっかけとなり得る。その媒体の一つとしての「本の装丁」。
本の内容に触れたい気持ちは山々だけれども、今回は「ジャケ買い」に視点を置いた語りとして、この辺りにしておこうと思う。
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秋光つぐみ