『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #57 『YUKI Girly ROCK』宇都宮美穂 / 大森克己
2024年11月28日の一冊
「YUKI Girly ROCK」宇都宮美穂 / 大森克己(ソニー・マガジンズ)
パークで開催中の『音楽展』が楽しそう。音楽という共通のテーマをもとに各々の作品が飛び交う空間は、作家さんやお客さんやスタッフ間でのコミュニケーションも充実しそうで、改めてよいエキシビションなのだなということが伝わってくる。
「音楽」私にとってそれは、自分の奥深くに宿る “原点” みたいなものに帰ってこさせてくれるもの。「十代の頃に知ったり聴いたりハマったものは、大人になっても自分の根っことして存在し続ける」みたいなことをよく聞くけれど、実体験を持って、本当にそうだなと感じる。
私は今でも JUDY AND MARY の曲を聴くと、私の芯に据えているマインドはここにあるぞと立ち返ることができる。
諸行無常、形あるものは必ず変化していくし、人も歳を取るし変わらずにはいられない。でも、変わりながらも “原点” は間違いなく在るし、何度でも帰ってくることができるのは、幼かった自分にとってたっぷり得られた栄養だったからなのだろう。
今日の一冊は、私の(というかもはや老若男女かかわらず多くの人々の)アイドルでありミューズである YUKI さんの本。
著者は、YUKI さんご本人でなく音楽ライターの方だけれども、中学生のときに古本屋で見つけて、音楽以外の角度から YUKI さんのことを知ることになった初めての本である。
90年代半ば、当時20代。ヴィヴィアン・ウエストウッドのお洋服に身を包み、キッチンやベッドルームでころころとポージングしたり、表情を変えてみせる彼女独特の世界観はこの時点ですでに仕上がっているような気さえする。
無理に微笑んだり、美しく見せようとしない。しかし、全てありのままという感じでもない。
切りっぱなしでボサボサにスタイリングされた黒髪のボブヘアがチャーミングで、白くてまあるいほっぺが美味しそう。くっきりと紅で彩られたかたちの良い唇は紛れもなく “YUKI” のチャームポイント。
自然体に見えるのに、溢れ出る反骨心みたいなものが彼女をロックに見せ、この姿に憧れた女の子たち、見惚れた人々は数多くいたであろう。2024年の今見ても、唯一無二のかっこよさを放っていることを感じる。
前編には大森克己氏によるグラビア写真が続き、後編には宇都宮美穂氏による “YUKI” になるまでの彼女の生い立ちが綴られている。
函館の片田舎から飛び出し、一躍スターとなった彼女の人生を垣間見ては、やっぱり “何かが違う人” “持ってる人” という印象を抱くかもしれないけれど。本当は何も違わない。普通の女の子。悩み、もがき、苦しんだときを越えて「私」になっていった YUKI さんなんだと思う。
誰かの目や言葉を気にせず「私」を確立していくさなかで、楽曲も少しずつ変化している。
と願っていた少女が、
と歌う女性となった。
私は、JUDY AND MARY をリアルタイムで聞いていた世代ではなく、中学生のときに『FRESH』という復刻ベスト版に出会ったことをきっかけに高校生、大学生を通して、JAM〜YUKI の音楽を聴いて育った。
(という人は日本全国に何十万人といるだろうな‥だから凄いの)
音楽というものをはっきりと意識した最初の存在が JUDY AND MARY であり、音楽と人生の変化の過程をともに知ることとなったのが YUKI。
それから発展してさまざまな音楽を聴くようになったけれど、たまに彼女の歌う曲を聴くと元いた場所に、違和感なくすとんと漂着するかんじ。これがとっても気持ちいいのだ。