『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #45 『言の葉の森 日本の恋の歌』 チョン・スユン 著 / 吉川凪 訳
2024年9月5日の一冊
「言の葉の森 日本の恋の歌」チョン・スユン 著 / 吉川凪 訳 (亜紀書房)
ここ最近気になっていた本をようやく手に取ることができた。この連載の2つ前の記事で紹介した町田康『くるぶし』を文字通り ”衝動” 買いしたとき、実はこの本が本命だった。
短歌の本とは言え、衝動買いとは言え、全く異なる世界観の本にギアチェンジできてしまう自分の風呂敷の大きさと、情緒不安定さを感じずにはいられない。物事は、人間は、いつも表裏一体(ということに)。
『言の葉の森 日本の恋の歌』は、韓国で人気を博す翻訳家・チョン・スユン氏によるエッセイ集。千年の時を超えて読み継がれる日本の和歌を題材に、日本語と韓国語の両言語を併記し、さらに和歌で記される恋の情感を読み解きながら、日本と韓国を往来しながら得てきた知識や体験をもとにチョンさん自身の半生を語っている。
私はこの本を手に取ったことで、久しぶりに「好きだ」と純粋に心に響く文章に触れることができた。チョンさん自身の体験から成る感受性にも驚嘆するとともに、吉川さんの翻訳による言葉と文章が気持ちよく鳴り響き、見事に調和した瑞々しいエッセイだ。
私自身の話をすると、自分の事業として ”古本” に拘っていることは事実としても、日々新たに出版される本や現代を生きる生活者たちがどのような本に興味を抱くのかを知りたいと思うし、市場調査は欠かさない。そんななかでもとりわけ自分に引き寄せたいものの一つとして「アジア文学」そして、短歌や俳句といった「詩歌」の本である。
学びたいがきっかけが欲しい。何から、誰の著書から、トライしてみようか。そんな気持ちで新刊書店をぶらつきながら目にしたのが『言の葉の森 日本の恋の歌』だった。
なんてことだ。今の私にとって、これほど理に叶った本はない。
(その後、数回ほど店頭に通い詰めた挙句、買うつもりでいつもと違う書店へ。在庫なし。『くるぶし』に浮気。次のタイミングでめでたくお出迎え。という流れを踏むことになる。)
本書は全四章で構成される。
これらを大きな柱として、小野小町、紫式部、清少納言、伊勢、和泉式部‥などといった人物たちがかつて想いをしたためた歌の意を紹介しながら、読書の心にするりするりと浸透してきてくれる。
『家出』という項。
読者として、他人事ではいられなかった。私も何度も心を裂き、砕け散った心は身体を飛び出していった。その度に自由で破天荒な心に、身体をついていかせることに必死でここまで来た。心に追いついてくれる身体があってよかったと思う。
もし、私の身体が変化や激動を恐れ、心に置き去りにされたままだったとしたらどうなっていたのだろうかと考えると、おかしな冷たさの汗が滲む。
常に、出ていこうとする心に耳を傾け、身体と相談しあって足並みを揃えることができたから、今の私はここにいるのだと思う。不思議なもので後悔などはほとんどない。毎回、自分で考え、自分で決めて、納得をしてから、飛んでいく心についていく覚悟ができたからだ。
社会的地位も、経済力も、生活力もなく、一人前とは到底言えない私だけれども、”身を捨てて他なる心” が確かに自分のものであることを知ることができた以上は、これからも生きていける、大丈夫、と自分を奮い立たすことができる。
千年余り昔に書かれた歌と、同じアジアで今を生きるチョンさんによって編み出されたこの言葉が、また明日を生きる私の糧となってくれた。
忙しい、眠い、時間がないなどと言って、読書から遠ざかりつつあったけれど、そんなことは言い訳に他ならないと吐いて捨てられる。
そうして、冷めざめしていた胸に温度が帰ってくるほどに、時を超えて変わることなく、まばゆく光る月明かりの下で『言の葉の森』を、夜な夜な読み耽っている今日この頃である。
-