『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #38 『さよなら私』 みうらじゅん
2024年7月18日の一冊
「さよなら私」みうらじゅん 著(角川書店)
2024年夏の京都、『みうらじゅん FES マイブームの全貌展』が開催中。兼ねてより “みうらじゅんファン” を公言するわたくしだけれども、『みうらじゅん FES』には一度も足を踏み入れたことはなかった。この度、そのチャンスが突然舞い降り、弾丸日帰り強行ツアーを組み、いざ京都へ出陣。昨日の出来事である。
一週間前に「やっぱ来週いこ」と決意。一人だから身軽なものである。それから、まだ読んだことのない(まだまだたくさんある) ”MJ本” でも読んで予習でもするかと軽い気持ちで手にした本。
それが今日の一冊、『さよなら私』。
以前にもこの連載で紹介した MJ 本の一つ『カスハガの世界』とはまた打って変わって、「人生の生きづらさ」を心得たうえでどう生きるか、ということをやさしく説いていくみうらじゅん的人生訓である。
と、みうらじゅん的アンテナを世間に張り巡らしながら、彼が幼い頃から得てきた仏教の思想をベースに、その解釈を平たく耕し、わかりやすく噛み砕いて語りかけてくれる。堅苦しくなく、(持ち前の多少の下品さを放つ項もあるが、反しておしゃれに受け止められる)絶妙なバランスがちょうどよくて、大変読みやすい。
究極で、シンプル。「自分」というものがあり、自分の人生の安定をキープしようとするから不安になる。そもそも不安なのだから、その不安を我が胸に抱いて向き合う、つまりあきらめる。「自分」をあきらめると楽になれる。人にやさしくすることができる。そういったところだろうか。
肝に銘じておきたい一説。20代の頃の私は、今よりもずっと淋しいと孤独を感じたり、あの子が羨ましいと人を妬んだりもしたものだ。けれどもその感情こそが、一人きりで生きていくための糧にできる瞬間がくる。家族や恋人がいようとも人はみな孤独なときもあるし、死んでいくときはその魂は一人きりなのだ。それが通常モードだと思えば、越えられない淋しさはないのだろうとも捉えられる。
冷静すぎ?
そこで立ち返りたい。この世は生まれながらに「空」なのだということを。それを思い出すと、すんなり受け入れられる言説だと私は考える。
『みうらじゅん FES』に行くまでの予習だとか言って、軽々しく手に取ったにも関わらず、読み終わった後、思いがけなく励まされている自分がいた。あまりの励まされように、私は正直戸惑った。(そして、まさかの二周目に入っている。)
みうらじゅんが好きだ。みうらじゅんは天才だ。みうらじゅんに会いたい、話したい、お友だちになりたい、弟子入りしたい。そんな熱烈ラブコールを心の奥底から送ってはいたものの、私はまだまだ甘かった。
「マイブーム」と称して、牛やらワニやらカスハガやら冷マやらゆるキャラやらいやげものやらを、変態的にコレクションするただの天才ではなかった。私にとっては「マイ仏教」をご自分の言葉で、ヘナチョコな私にもわかるように諭してくれる、もはや私にとってはお釈迦様のような存在なのかもしれないと恐れ慄いてしまった。今までの私は、そんなには何もわかっていなかったのだ。
そんな私のような読者を想定してなのか最後にこうも綴られている。
今回の読書録を読んで、「あきみつ、大げさな‥」と思ったあなた。”自分” をあきらめてください。
なんつて。
『みうらじゅん FES マイブームの全貌展』は8月25日(日)まで、京都駅伊勢丹7階の美術館「えき」で開催中。
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秋光つぐみ
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