『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #35 『女たちよ!』 伊丹十三
2024年6月27日の一冊
「女たちよ!」
伊丹十三 著
(新潮文庫)
「一体、なんだと思っているのかね」
伊丹十三による、真っ当な大人になるための人生論風 ”エッセー” 。
自分の暮らしに、偽物は要らない。目に映るモノ・ヒト・事象の中に潜む “ホンモノ” を見抜け。
1968年、戦後の高度経済成長期を経たモノの溢れる世界の中で、伊丹氏自身の磨かれた美意識とセンスによって、”ホンモノ” とは一体何なのかを見抜き、洗練された彼の「流儀」が、この本ではひたすらに断言されている。
パスタの茹で方、サラダのこしらえ方、サンドイッチの楽しみ方、アルコールの嗜み方、車の正しい運転の仕方‥。国内外で出会ったさまざまな人物や文化を程よい距離感で捉え、己のものとして咀嚼し、本当に良いモノの在り方や自身の佇まい方を語り切る。
缶詰一つ、道路標識一つとっても、暮らしの中で出会う彼の目に映るすべてのモノに対する視線が、熱く、鋭く、厳しいことを知ることができる。少々、高飛車で嫌味で、お高く止まっているように感じられたり、現在アップデートされ続ける新しい価値観との相違も多少はあるものの、伊丹氏の美意識と紳士的姿勢には、敢えて表現される「粋なイイ男」像を感じずにはいられない。
生活、仕事、ファッション、旅などにおいて「こうあるべき」という理想を、自身の体験をもとに惜しげもなく言い切っているのだけれども、その中に混じ入るジョークや茶目っ気に気が付くことができたときに、私の想像の中の伊丹さんがこちらを見てウィンクでもしているかのような気がしてくる。
それくらい、くどくどと語られる伊丹流儀に、「はいはい」と思いながらも、「紳士たるもの・男たるもの・創作者たるもの、こうした視線を常に手放すことなく、世界を解釈してゆくことが、暮らしを、人生を潤わせていくのだ」ということに納得することもできる。そうすることで世の中に対して文句も多くはなるだろうが、美しいものへのセンサーは一層敏感になり、そのこと自体が大変に楽しいことなのだろうと思うのだ。
しかし、伊丹氏に強い共感を抱くことはできない。今の私にはまだまだ解釈が浅い気がする。私はまだまだ ”ホンモノ” を知らないのだ。「女たちよ!」を読みながら感じることは、まだまだ ”アコガレ” の領域を出ることができないということだ。世界的映画監督の日々は、ワールドワイドで斜め上に在る。身近な存在・親近感とはかけ離れた存在なのである。当然である。
そしてそんな人物の存在が私はうれしく思う。手の届かない存在・暮らし・業界。想像上でしか描くことのできないまだ見ぬ世界が実際にどこかにあるのだと考えれば、胸は高鳴る。誰だって目指してみても良いではないか。
時間もお金も出し惜しむことなく、良いものを見て、聞いて、友と話し、外へ出向き、訪れるものを受け入れ、”ホンモノ” を見極める視線を鋭く貫こう。それが私を、まだ見ぬもっとおもしろい世界へ連れて行ってくれるはず。
これは、既存の「ルール」から逸脱し、己の流儀をつくりあげるための教科書なのだ。
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秋光つぐみ
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