『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | # 22 『まるむし帳』 さくらももこ
#22
2024年3月28日の1冊
「まるむし帳」さくらももこ 著 (集英社)
本日は『ほどく』展に寄せて、私の敬愛する漫画家の一人である、さくらももこさんの詩集を選書。
「ほどく」。
ステートメントを読むと、「こりかたまった何かをやわらげることだったり、ばらばらにすることだったり、元通りに戻すことだったり、離したりすることも、ゆるめることも‥」と書いている。「ほどく」という日本語三文字の語感にも、ゆるやかさや心地よく力の抜けたやさしさを感じて好きなのだけれども、ここに書かれてある意味を知って、その言葉の奥行きをより深く、背景をより鮮やかに見ることができて、さらに好きになった。
そして、この言葉と現在の私を重ね合わせたときに読みたい本として、手に取ったのがこの『まるむし帳』である。
先日、地元の長崎で訪れた『さくらももこ展』 で書かれていた言葉がほのかに印象に残っている。
「ある日、小さなまるに出会って、一生このまると遊んで行こうと決めた」
そのような言葉だった。ああ、さくら先生はご自分の中に眠っていた本能のようなものを発見して、出会って、この子(つまり自分?)とともに生きたのだ、と思った。その小さなまるが「ちびまる子ちゃん」であったり「コジコジ」であったりするのかな、なんて想像したりもするのだけれど、正解はわからない。正解というものはないのかもしれない。
そんなことを考えながら、私はこの『まるむし帳』をのことを思い出した。
私たちは、たくさんのことをウーンと考える必要がある。仕事のため、生活のため、周りの人のため。
でも生きることは、本当はとても単純で、きっともう少し自由でいてもいい。そう感じた瞬間に、ほどけた。
「何も無い」は「在る」。そんな複雑そうなことを、さらりと言い果たした。この9行の詩によって、生命体の緻密な細胞から、最終的に全宇宙へと、想像のスケールを広げられるパワーを感じて、さくら先生が秘める言葉の凄まじさを感じた。そもそも何も無いところから、この世界は始まっている。そう気がついて、またほどけた。
見えるものが全てではない。かたちあるもの、放たれた言葉が全てではない。その後ろがわにあるもの、奥底にあること、見えないものが在ることも、知っている。それを言わなくても、わかり合えていることを感じることができたら、それは美しいと思う。
さくらももこさんの言葉は、軽やかでいて、人の心の真髄をついてくる。きっと世の中のいろいろなことが見える人だったのだろう。だからこそ、厳しさや辛さも味わったのかもしれない。その味の渋みをも我がものにして、漫画に描き、言葉に綴ることができたのだろう。決して渋みをストレートに押しつけるのではなく、軽やかに柔らかに鮮やかに、ふわりとこの手のひらで舞い踊らせるように。
『まるむし帳』を読み進めていくうちに、私はどんどんとほどかれる。
「ほどく」の解釈は、人それぞれかもしれない。私にとっての「ほどく」はこの『まるむし帳』が象徴してくれている。この本に出会うことができてよかった。
-
PARK GALLERY 木曜スタッフ・秋光つぐみ
この記事が参加している募集
🙋♂️ 記事がおもしろかったらぜひサポート機能を。お気に入りの雑誌や漫画を買う感覚で、100円から作者へ寄付することができます 💁♀️