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【フランス留学】旧友に会いにフランスのど田舎へ


2021年10月から22年2月までの期間、フランスに留学してました。その時の話をポツリポツリと時系列完全無視で書いてます。



もともと田舎には関心は無かった。
皆無と言ってよい。

しかしこうして今、人口600人の知夫里島に住んでいる。住むに至ったきっかけは様々ある。

その島に住むに至った要素の一つに、今から語る経験が挙げられる。

フランス留学中に旧友を訪ねにど田舎に行った話である。


旧友を訪ねて


フランス留学する以前からフランス人の知り合いがいた。
彼女は、僕と同じ大学の研究室に交換留学生として1年ほど来日しており、同じ研究室で勉強に励んだ仲であった。

彼女がフランスに帰国してからも度々連絡を取り合っており、僕の渡仏を喜んでくれた友達の一人でもある。

そんな彼女であるが、現在何をしているのかは全く知らなかったのだが、私の留学先のクレルモンフェランからさほど遠くないところに住んでいることは知っており、機を見て彼女を訪問した。


なんと、都会派だと思っていた彼女は果てしなく田舎に住んでいた。

村の外観。自然に囲まれています。


横殴りの寒風で凍った木々。冬の寒さは厳しい。


彼女は、クレルモンフェランとリヨンの間にある小さな街であるl’Arbresleからさらに電車で40分程南にある小さな村に住んでいた。

村の中心にある古い教会を取り囲むように家々が存在している、牧場と畑が延々と広がる丘陵地帯にぽつんと存在している素朴なところだった。

牛がたくさん


知夫里島と勝負になるくらいの田舎なのではないか!


なんで田舎に住んでるの!?

なぜこんな田舎に住んでいるのかと尋ねると、もともと田舎が好きであったことに加え、地質学を生かした仕事を探す中でこの地域に支社のある会社を見つけたので、思い切ってここに移住することを決めたとのことだった。

彼女は都会派な雰囲気があったので、とても驚いた。

彼女は私の2つ上の年齢である。

💭それくらいの若者って大体、みんな都会に好んで住むものじゃないのか!?

💭田舎に残るのはマイルドヤンキー的人々なのではないか!?(←今思えば大いなる勘違いだった、今は田舎ほど可能性に開かれた土地はないと思っている。)


衝撃と同時に心のどこかで羨望の気持ちを感じたのも事実だった。

この当時、私はどこかで田舎でのんびり暮らしたいという思いを持っていたが、都会でばりばりと働いてキャリアを重ねるために東京の会社に既に内定を得ていたからだ。


(脱線)地方移住について今思うこと


彼女の地方移住は当時の私にとっては不可解極まりなかったが今は何故か納得が行く気もする。それは私が元に田舎に住んでいるからである。

最近、地方移住に関するおもしろい文章を読んだので紹介する。哲学者の内田樹さんが記した内容である。

人口減はもう止まらない。地球環境がこれ以上の負荷に耐えられない以上、これは一つの文明史的必然である。でも選択肢は2つある。資源の地方分散か、都市への一極集中か、いずれかである。資本主義の延命のためには後者しかない。(略)。
資本主義が要請する限り、現在の経済システムから受益する人たちは黙ってそれに従うだろう。あなたたち(移住者たち)はそれに抗う人たちである。(略)。
「弱者支援に公金を投じるべきではない。生き残るのは強者だけでよい」という考え方に現代日本人は親和的である。(略)。地方移住者たちはその趨勢に争って「人間性を守るための闘い」を闘っている。

内田樹「凱風館日乗」

これは何度も言っているが、東京に住んでいて私はずっと鬱々としていた。私が東京に住む必然性を全く感じなかったと言って良い。それはやはり、何か、限界的なものを感じていたのであって、その限界とは自分の範囲を超えた、より社会的、地球規模的なものであった気がする。内田樹さんの文章は私が感じていたものに近いものを伝えてくれている。


またの再会を願って


その日の夜は、彼女と彼女の知り合いと共に日本食を作り、日本での思い出話に花を咲かせて過ごした。時々電話やZoomでは話していたのだが、実際に会って話すことのぬくもりを感じ、当時コロナ禍あってもかつての友達に再会できたことに深い感動を覚えた。

フランスから帰国後私は東京で働き、今は島にいる。私が島で暮らしていると知ったら彼女はきっと驚くだろう。


「私を真似したな😏」と言われるかもしれない。

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