些細なことから差別は生まれる(岩上安身氏のツイートに寄せて)
この記事を書いている現在、ウクライナはロシアによる侵略を受けている真っ最中。
当然ながら現地からの情報や国際政治の専門家、評論家・ジャーナリスト、そして政治家などの人たちの言説がTV・ネットニュースやSNSで飛び交っています。
岩上安身氏もそんな中の一人。
氏はインターネット上に独自のメディアを立ち上げ、国際情勢に関する情報を日々発信しつつ、ツイッターでも毎日多くの発言をしている国際派ジャーナリスト。
そんな彼が最近のツイートでロシア人の印象として、
「日常は怠惰で、酒浸りで、ダメダメ人間だと自分たちで自嘲している」、と。
それはエビデンスたり得るのか?
おそらく彼はロシアで、実際にそのように自嘲しているロシア人を見たのでしょう。
しかし、いったい何人のロシア人と会話したのでしょう?
何人のロシア人と知り合いその会話を見聞きした中での、何人がこのように自嘲していたのか?
また、ダメダメ人間だと他人が断定しているのではなく「自嘲」、つまり自分で認めた発言だから問題ない、のでしょうか?
noteブログ「エビデンスは万能にあらず」でも書きましたが、エビデンスにはその内容の確度においてランクがあります。
エビデンスだからといって、直ちにそれを事実認定するわけにはいかない。
そこが、厳密性を旨とし人知の及ぶ限り真実に迫ろうとする科学研究の営みの、本来的に抱える困難さの一つでもあります。
科学的だがエビデンスではないもの
例えば、よく科学の話題で「動物実験」の結果が取り上げられることがありますね。
確かにそれは科学的に得られた知見と言えるでしょう、正当な手続きの下で行われたのであれば。
あるいは生体組織(細胞や皮膚片等々)を用いた培養その他の実験についても、見聞きしたことある人は多いと思います。
もちろんそれらも科学研究の一つの結果です。
しかしそれらの結果が人間に当てはまるかどうかは別問題。
当然ながら動物と人間とでは体の仕組みが全然異なります。
食品や薬品を例にとれば、動物で効き目があるから人間にもあるとは限らないし、動物にとって安全な量が人間でも安全、とも言えません。
「エビデンスは万能にあらず」で述べたエビデンスピラミッド。
確度の高い順に
メタアナリシス
ランダム化比較試験
調査データ分析
個別の事例研究
専門家の意見
でしたね。
特に疑似科学を流布する者が重宝する「専門家の意見」、実はエビデンスとしての価値は低いよ、ということでした。
だから、少数の専門家の意見だけに捉われず、(その人が本当に専門家かどうかの確認を含め)手間をかけて重層的に自分で情報を集める必要があります。
重要なのは、先ほど例に挙げた動物実験や生体組織を用いた実験は、こと人間を対象と考える場合にはエビデンスとしてすら扱われないということ。
それらはエビデンスピラミッドの外に位置付けられます、科学なのに。
統計調査がカギ
そしてここからが本題ですが「個人の体験談」、これはさらにこれらの下、科学的知見の足しにすらならない、ということです。
通販などのECサイトには必ずと言ってよいほど載る体験談。
使用者たちが(本当に使用した人たちなのかも怪しいが)、そのサプリや健康器具を使ってどれほど体調がよくなったか語っています。
いくら体験談を積み上げられてもあてにならないことは前回も述べました。
こういう時、もし科学的に解明しようとするなら統計的手段が有力な手筋になります。
サプリを例にとると、
の四項目それぞれの割合を定量化する必要があります。
このような調査は疫学調査と呼ばれ、エビデンスピラミッドでは上から二番目のランダム化比較試験に相当する重要な科学的調査法です。
(さらに、複数の調査を横断的に考察すれば一番上のメタアナリシスとなります。)
いくら確信を持っていてもダメ
冒頭の岩上氏の言葉、ロシア人が自らを
日常は怠惰で、酒浸りで、ダメダメ人間だ、と。
お分かりと思いますが、これはこのように言うロシア人を(仮に本当にいたとしても)岩上氏が見た、というだけの話。
私がそれを指摘し、体験談をもとにして論を展開する危険性を指摘すると、氏は、
やはりこれでは「体験談」の域を出ないのですね。
事実認定の足しにはならないのです、統計とってないのだから。
受け取り手目線で見ると‥
そして、たとえそれが単なる自嘲、ジョーク、ホラ話としての発言だとしても、ツイートを読んだ側は
「ロシア人って多くが自分をそういう風に考えているんだ。本当にそうかもな」と思うかもしれません。
ましてやこのご時世。ロシアが他国を攻めているこのご時世にですよ。
新たな差別を助長しかねない、と思うのですがどうでしょうか?
ジャーナリストを自称し、10万単位のフォロワーを抱える影響力を持つなら、もう少し配慮が必要だというのは、エビデンス論からも言えるのではないかなというのが私の意見です。
(たとえフォロワーが少なかったとしても、一つのツイートが爆発的にリツイートされる例は珍しくありません。)
科学と言うのは手間がかかるものですが、「難しいから」、「手間がかかるから」と言って手を抜いてはならない。
サイエンスライター佐藤健太郎氏が言うように(※)、「『定性思考』から『定量思考』へ」が、現代生活において、特に科学的な言説を見聞きする際の重要なキーワードになりそうです。
※「『ゼロリスク社会』の罠」、光文社新書、2012年
○Kindle本
「再会 -最新物理学説で読み解く『あの世』の科学」
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