手放すということ(1) 「月があるじゃないか」
2011年3月11日に起きた「東日本大震災」は、日本人のさまざまな価値観を変える出来事でした。
エネルギーの問題、家族や地域の絆、結婚観、仕事観……社会全体の今までの価値観が大きく揺れ、ますます多様化が進んだような気がします。
では、私の中では何が起こったか?
実は先に述べたような社会的価値観の変容は、全くと言っていいほど起こりませんでした。
その代わり。
私が得たものは、今まで頭でしか理解できていなかった「手放す」という感覚でした。
当時、福島原発がダウンしたために大幅に電力が不足し、電力の消費を抑えるために「輪番停電」という制度がありました。
何日かに1回、1日3時間程度の「停電」があり、停電が何時から始まるかは地域ごとに決められていました。
私が住んでいた地域はなぜか夜間の停電が多く、このことについては区長が東電に意見したことがニュースにもなりました。
一度停電になると夕飯を取るのも大変で、3時間はほぼ何もすることができません。
あまりにも非効率な時間に耐えきれず、一度は電車に乗って飲み屋街に出掛けて行ったこともありました。
懐中電灯を持ちながら、何かできることはないかと家中をウロウロしていた自分。
が、何をやっても通常時以下のパフォーマンスしか出せず、イライラは募るばかりでした。
何回目かの夜間停電のとき。
電気が消えた瞬間、ふと空を見ると月がありました。キレイだなぁ……としばし眺めて、そして突然気づいたのです。
月があるじゃないか!
何もないなら、しばらく月を見ていよう!
月を見ながら、いろいろな思いが湧いてきました。
何もないと思っていたのに、月があった。
何もないなんてことはなくて、この手のひらの上には結構いろいろなものが乗っているのではないか?
いや、実はすべてを持たされて私たちは生かされているのではないか?
それであれば今、目の前に何もなくたって不安になることはなんじゃないか??
青い鳥みたいに「ない、ない」と言って外へ探しに行かなくったっていいんじゃないか??
いろいろ、いろいろと。
探しているときは気づかなくても、一度それを手放した瞬間にすべてを持っていることに気づく。
そういうもの。