手放すということ(4)「病者の祈り」
「病者の祈り」という詩があります。
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大事を成し遂げるため、
力をくださいと神に祈ったら
謙虚さを学べと弱さをくださった。
多くのことがやれるように健康を求めたら
もっと価値あることを選んでやれと
病気をくださった。
幸せになりたくて豊かさを欲したら
知恵を育てろと貧しさをくださった。
この世の人たちに褒めてもらおうと
成功を望んだら
驕らないようにと失敗をくださった。
人生を楽しめるように
すべてのものをくださいと願ったら
すべてのものを楽しめる、
生そのものだけをくださった。
求めるものは
何一つくださらなかったけれど、
私の願いはすべて叶えられた。
神の意に適わない人生だったけれど
心のなかで表現すらできなかった
私の祈りの言葉まで、
神はすべて聞いてくださった。
わたしは誰よりも
大きな祝福を受けた人間なのだ。
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さまざまな欲があるのは人である以上当然のこととして、それを何かのきっかけで手放せたときに「願いはすべて叶えられた」状態になります。
私は子どもを産むなら、人から羨まれるような賢い、誰にでも愛される愛想の良い子が欲しいと思っていました。
そしてどこか、子どもというのはそういうものと思っていた節もあります。
今思えば、「自慢の子どもを持つ善き母親」でありたかっただけなのかもしれません。
が、予想に反し実際に生まれてきた息子は人見知りが激しく、社会の一般常識対して反抗し、あいさつもろくにできない困った子供に育っていきました。
親としてはしつけを失敗したと思い、他人から「まだ子どもだから仕方ない」と慰められるたびに自分の無能さを見せつけられる思いがしました。
エニアグラムを知ったのは息子が中学2年生、13歳の時。
なんだ、そういうことか。
私は、一般的な善き親として存在することを手放しました。
そして10年後の現在。
息子は私の後を追ってエニアグラムのファシリテーター資格を取得しました。
この後、キャリアコンサルタントの資格を取って、ゆくゆくは大学のキャリアセンターで働きたいそう。
息子は、人から羨まれるような賢い、誰にでも愛される愛想の良い子という理想からは少し離れていたかもしれません。
でも、常に自分を大事にし、陰では真摯に物事に向き合う少し不器用な、その分、味のある人間に成長しました。
結果、私はみんなから「良い息子さんをもって幸せね」と言われるようになりました。
私も心からそう思います。
エニアグラムとは、待つこと。
サムシング・グレートは私にも息子と一緒に成長する機会を与えてくれました。