家族とわたしを考える
「親も切り離して良いんだよ」
何度も言われたこの言葉。しようと思っても、いまだに出来ずにいる。切り離したいのかどうかも正直よく分からない。でも、家族というものがわたしにとって苦しいものであるのは自覚している。実家に帰れば、良くも悪くも「家族」という存在に引っ張られる。引っ張られない強さは今のわたしには無い。
正解がある訳ではないから、その時々でわたしはわたしの正解をだすしかない。それはとても苦しい。
死にたいと考えるようになって、もう何年も経つ。消えたい、の方がしっくりくるかもしれない。ふと、もういいかなと思う。もう居なくなってもいいかな、と。死ぬことは良い悪いで言うなら、悪いことなのだろうか。
死にたい消えたいと言うと、「そんなこと言わないで」「苦しくなる度にそう言って逃げるな」と言われたことがある。どう死に至るかは人によって違うけれど、例えば自殺。自殺はいけないことですか?そう聞かれたら、わたしはいけないことだよとは言えないと思う。その時その人が、苦しみの中で出したその人なりの答えだと思うから。だからといって、自殺を勧めるわけではないけれど。
ただ、「あなたの人生だから決めるのは自分自身だよ」と周りの人は言うけれど、わたしがわたしの人生をどこで終わらせようとするかはまた別の話なんだなと、わたしの命は誰のものなんだろうと、考えてしまう。
精神科に入院していた時、そこには色んな人がいた。自殺未遂した人、自傷する人、幻聴幻覚がある人、さっきまで隣の人と笑って話していたのに突然暴れ出す人、部屋のドアをドンドンドンドン叩く人。あそこを語るのは、とても難しい。世の中で一番安全で、一番社会から遠い場所。守られているようで突き放される、優しくて冷たいところ。
隔離病棟(個室の部屋に外側から鍵が掛かって自由に出入りができないところ)に居たとき、消えたいが死にたいに変わった。両腕に点滴の管がつながっている。生きるためのものを、わたしの身体に入れないで欲しいと思った。ドアの向こうに両親の姿が見えるのを待っていたのを覚えている。来てほしくないけど、そこに来るわけないと分かっていても、どっちか一人でもいいからすぐに来て欲しかった。母が一人で来るとは思えなかったけど。
幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読んだ。
わたしの死にたいも、たぶん家族に対する復讐だと思った。今でも分かってほしいとどこかで思ってしまう。言って欲しかった言葉が沢山ある。でも今言われても、もう遅い言葉。わたしが死んだら分かるだろうか。気付くだろうか。リストカットや食べ吐きみたいな自傷行為が何を表しているのか、理解するだろうか。
たぶん分からない。結局だめかと絶望すら感じるのに、家族を切り離して考えることができない。どうすれば良かったのだろう。これからわたしはどうしたいんだろう。今でも油断すると後ろの方で「死にたい」がチラつく。死んでも復讐にならないこともわかってる。だからわたしは、noteに言葉を絞り出す。