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自分のことばで考えて、伝えたい。

本を読んでいるとき、ニュースやラジオ、音楽を聴いているとき、知らないことばと山のように出会う。
わたしはことばを知らないので、途中で頻繁に引っ掛かるものだから、なかなか前に進まないということもざらにある。


三浦しをんの『舟を編む』という小説がある。
映画化やアニメ化もされているので、知っている人も多いかもしれない。

ここであらすじを述べるのは省略するので、興味のある方は手に取ってみてほしい。


わたしは映画化されたものがすきで、ぼんやりと落ち着きたいときなんかに観ている。


劇中で、辞書編集部の荒木が主人公の馬締光也に「”右”ということばを説明できるかい?」と問うシーンがある。馬締は「西を向いたとき、北にあたる方が右」と答えるのだが、もし同じ質問をされたら、あなたは何と答えるだろうか。
わたしは映画を観るたびに、自分なら何と答えるだろう…と頭を捻る。


”縦書きの本を読む際に、徐々にページが増えてゆく方”


わたしにはこれが限界だった。



何かを説明しようとするとき、どこかで誰かが言っていたことを自分のことばにしてしまうことは多い。
自分のことばで説明するというのは、想像以上にむずかしく、骨の折れる作業だ。なので途中であきらめてしまうのだろう。

わたし自身、無意識に他人のことばを自分のことばにしてしまい、後々後悔することがある。だから余計に、”自分のことばで話す”ということに意識を向けていたいと思うのだ。しかしこれがなかなか上手くいかない。

辞めてしまった大学の教授から言われた、いまでもときどき思い出すことばがある。


「さきさんは自分のことばで文章を書いている。それはとても大切なことで、けれどとてもむずかしいことだ。だからこれからも大事にして欲しい」


一語一句同じではないが、言われてとても嬉しかった。加えてどこか少しほっとしている自分もいた。そして、この先自分のことばで考えて伝えることをもっと大切にしようと思った。

しかしわたしはとても不器用な人間で、自分の頭の中にある思考や感情を言語化することが本当に苦手だった。口に出して伝える必要があるときは特に。
いまでこそnoteにことばを連ねているわたしだが、数年前は友人との会話で、病院の診察室で、カウンセラーさんの前で、職場での雑談で、黙りこくりまくっていた。

当時のわたしを知っている人は、皆納得するだろう。
いまだって口に出すことが不得意だから、こうして文章にしているのだ。ここぞというときに限ってことばに詰まってしまうので、ときどき本当に情けない気持ちになる。


自分のことばで伝えるためには、より多くのことばを知っている必要がある。一見読みやすくて完結な文章ほど、凄まじい労力が詰まっているのではないだろうか。

文章が長いから素晴らしいのではない。むずかしいことばや横文字が使われているとなんだか格好よく見えるけれど、だからこそ読みにくさを感じることも多い。
読み手に取って重要なのは、読みやすさではないだろうか。格好いい文章は書き手の都合ではないだろうか。
それの良し悪しを言いたい訳ではなく、誰のために書いているのか、わたし自身が改めて考えたくて、いまここに書いている。

わたしはどんなことばで、どんな文章を綴っていきたいのだろう。
自分のことばで考えることを習慣にしながら、ゆっくりと見つけたい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。