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ドリブルの音が響く体育館で、走り続ける息子から受け取ったもの
細かい雨が降る2月の土曜日、午後1時。
7才の息子は、バスケットボール体験教室に参加した。
彼は週末になるといつも、家でぼくと1on1をして遊んでいるので、バスケットボールに興味を持ち始めているのだ。
でも、大きいボールを使い、正しいルールで大人が教えるバスケットボールは今回が初めて。天井の高い体育館に入り、経験のある2,3年生たちを見て、彼の表情は固くなった。
20人ほどの2,3年生の子どもたち。 先生は、B-LEAGUE京都ハンナリーズの運営も担当されている20代の男性。 厳しさではなく動きの意図、難しさではなく動きの興味深さを伝えている。
息子は、初めての場所、初めて会う先生、初めて会う子どもたちの中に入っていく。
いつも行っているのだろう、ボールハンドリングから体験教室は始まる。 息子は困りながら、先に進む少年少女たちの動きを観察し、見よう見まねでボールと体の関係性を学んでいく。
重心移動と足の連携、床に反射するボールの軌道、右手と左手の可動域の違い、重いボール、体とボールの速さの違い。 これまで一度もやったことのない規則の連なり。
開始5分後、1回だけ彼は不安そうにぼくの顔を見て「できひん」と言うように首を横に振る。 でもそれだけすると、ボールハンドリングのトレーニングに戻った。
ドリブルの組み合わせは次第に複雑になる。
トレーニングは30分、40分と続く。
応用は、ドリブルからのレイアップシュート、コートの端から端まで走ってからのレイアップシュートに移行する。 もちろん、息子はレイアップシュートを知らない。 彼の得意技、千葉ジェッツの富樫勇樹選手を真似した「富樫シュート」は、家の小さなゴムボールでしかできないのだ。
息子のシュートは全て空を切る。
重いボールはリングにすらぶつからない。
トレーニングが1時間を過ぎると、3分ゲームが始まる。 7対7のチーム制。息子はAチームになる。経験者は両チームに2名ほど。彼らを中心にゲームは動く。 かといってよく見ると、息子以外の少年少女も特別上手なわけではない。
試合は、14人の子どもたちがボールに群がりながら進んでいく。
ポジションも戦術もない。2,3年生の経験者がドリブルし、シュートを決める。
Aチーム 4 - Bチーム 6
Aチーム 2 -Bチーム 4
Aチーム 0 - Bチーム 2
というスコア。 3分ゲームはさらに続く。
観覧する大人たちは、我が子が走る姿をじっと見つめている。 まるで自身の何かを仮託するように。
息子は、チームというコンセプト、思うようにならないボールの原理、初めて体験する規則の連なりを正面から引き受けている。 心に生まれる恐怖を誤魔化さず、受け止め、立ち向かっている。
息子は走り続ける。
彼は勇気を持った人なのだ、とぼくは理解する。
1度だけスティールの瞬間が生まれる。 3年生が反対のコートに向かってドリブルを行い、味方の少年にパスをする瞬間。 息子の右手は、パスボールの動線に触れる意図を持っている。
でも、あと30センチ足りない。
パスを受けた少年はゴールに向かい、レイアップシュートを決め、試合は終了する。
Aチーム 4 - Bチーム 4
Aチーム 2 - Bチーム 6
という結果。
彼は1度もボールにさわれなかった。 自分のチームが勝ったのか負けたのかさえ分かっていないし、興味も失っている。
そのようにして、バスケットボール体験教室が終わる。
彼はすぐに体育館を後にする。 きっと、緊張と疲労に包まれ、悔しさと恥ずかしさを感じ、プライドが満たされなかったのだろうとぼくは推測する。
外に出ると雨は止んでいた。
2人は無言で家に帰る。
そして1週間たった今も、ぼくは考え続けている。
ドリブルの音が響く天井の高い体育館で、走り続ける息子から無償で受け取った何かについて。