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なんで泣いてるの?

2019年12月16日。
その日を境に”私の世界”は大きく変わりました。
『左側の世界』
という概念が消えました。
今は少しずつ戻ってきてはいますが、麻酔から目が覚めた直後は、左半身を切断されたのかと思いました。
自分の左半分がどこにあるのかが分からず、右手で左肩、肘、腕、掌と触ってみて初めて、胴体と繋がった自分の身体だと認識することができました。他人の身体を触っているようで、繋がっていると分かっていても、何も感じない左半身に所有感は持てなかったです。
あと、目。
視野が極端に狭くなって、中央の幅5㎝くらいしか見えず、声をかけられないと病室の中に誰がいるかも分からない状態になりました。
視床』とはその名の通り、視野障害が最も顕著に出やすい箇所だそうです。

――これが”障がい”か。

新しい自分との出会いでした。

ホッチキスをぶち込まれて気絶する




目が覚めたときはまだ意識が朦朧としていて、痛みに耐えながら呼吸することにしか集中できなかったのですが、
術前と術後、明らかに痛みの種類は変わっていました。
頭蓋の中で大きな鯉がぐるぐると泳ぎ回っているような鈍痛だった術前に対し、術後はズキズキと鋭い針で後頭部を数か所刺されるような痛みへ。
大部分の腫瘍の摘出に成功したのです。
「でもしばらく痛いのは仕方ないから我慢して」
当たり前っちゃ当たり前です。
なんてったって切って、割って、また張っつけたんだから。
5、6時間おきに痛み止めの点滴を入れてもらったけど、効いていたのかいないのか、
「もうなんでもいいから打ってくれ」
と、あれほど注射を怖がっていたくせに麻酔依存症みたいになっちゃって、そんな状態が4日ほど続きました。
後頭部の縫合部分は、上から医療用ホッチキスでばっちし留められていました。
目が覚める前からホッチキスは刺さっていたので、それによる痛みは特にありませんでした。
しかし一発だけ、意識が戻った後にぶち込まれたホッチキスがあります。あの『チューブ剥き出し事件』で、チューブが差し込まれていた一点の穴を塞ぐときです。

チューブを抜くときの痛みはありませんでした。内側って痛覚ないんだっけ?
「ちょ、これは痛いで。いきまーす」
の先生の声掛けの直後、バチン!!!とものすごい轟音がしました。
海外のアニメとかで頭を打った後に、キャラクターの顔の周辺をひよこだかなんだかが走り回ってチカチカする描写がありますよね。
まじでアレ状態。
痛いっていうか、WOW!って感じ。
痛みを感じる間もない一瞬だったからまだよかったけど、そのとき私は
「い、いたい……」
と呟き、またしばらく意識を失ったそうです。

いつ抜くか問題


糸を抜くことを抜糸。医療用ホッチキスを抜くことを抜鉤と呼ぶそうです。
鋭く尖ったものが大嫌いな私です。
意識が戻り、日に日に痛みも和らぎ、視野も徐々に広がっていくと同時に、
そんなのが10個も20個も後頭部に刺さりっぱなしであるという事実にさぶいぼが立ち、気分はフランケンシュタイン。
看護師に『いつ抜鉤されるのか』を聞くと
「術後最低3週間はつけっぱなしにしとかないと」
とのこと。
え、じゃあ何?私はフランケンのままシャワーもするし新年を迎えるってこと?

当時『やりたいこと』はたくさんありました。
1才になった姪を抱っこしたいし、味の濃い食べ物も食べたかったし、何より病院の外に出たかった。
でもそのときの私が最も望んだことは、『頭をゴシゴシ洗うこと』です。
冬だからまだ良かったものの、夏だと考えるだけで余計に痒い……。
痛みって、治癒の過程で猛烈な痒みに変わるんですね。
あれだけ痛い痛いと騒いでいたのに、今度は痒いから『ちょいと軽く刺してくれ』と言わんばかりに鋭い刺激を求めているんだから始末におえません。

「大晦日までに抜けませんか?刺さったままだと怖くてシャンプーできないんです」
注文の多い困った患者ですよほんと。
傷口が開いたらどうすんだって話ですよね。
術後はきっと、生来自己中な私が、ザ・モスト自己中になっていた時期だと思います。
地球は自分を中心に回転しているとでも思っていたのでしょうか。
こんなにしんどいんだから、これくらいの我儘は通って当然とでも思っていたのでしょうか。
誰もかれも、真剣に命を繋ごうとしてくれていたのに。呑気に台風の目の中にいたのは、他でもない自分自身であったような気がします。
見方を変えれば、そうすることで精神のバランスを保とうとしていたのかも知れません。
起こった現実に追いつけなかった私は、何度も何度も「待った!」をかけては速度を緩めようとし、
『そんな悠長なこと言ってる場合じゃない!』
と現実にお尻を叩かれているような感覚でいたのかも知れません。

大晦日までには抜くという契約を交わす


食欲が全くありませんでした。
術後初めて口にしたのは、目が覚めて4日後のみかんゼリーです。あんなに美味しいものを食べたのは、産まれて初めてかもしれません。(たらみ様感謝)
運ばれてくるご飯を目の前にすると、どうしても吐き気を催してしまって食べられませんでした。
高カロリーの点滴を打ってもらうだけで、体重はどんど減っていきました。
それでもいたって元気だった私は
『みかんゼリーだけで生きていけたら楽だし、経済的にもええなぁ』
と、また呑気に考えていました。

すると、いつまで経っても食べない私の噂を聞きつけた医者(主治医の助手)が病室にやってきて、
「食べたら大晦日までに抜鉤してあげる」
と、交換条件を持ち出してきたのです。今となってはナイスプレー。
やはり、気持ちの問題が大きかったのでしょう。
「食べたら抜鉤、食べたら抜鉤…」
と思いながら食べたら、吐き気はだいぶマシになりました。

抜くのも怖いと騒ぐ


一時帰宅するのは、大晦日から1月2日の夜8時まで。
待ち遠しかった……。
姪に会いたいし、お寿司食べたいし、頭洗いたい!!
で、30日の午前中に抜鉤が予定されていたのですが、朝起きて
「抜鉤も怖い…」
と言い出した私。母も姉も大ツッコミです。
それでももちろん抜鉤したい気持ちの方が大きかったから、ジッと待っていたんです。

が、午後になっても夕方になっても医者は来ず。
何度も看護師の方に相談をしましたが、
「今日中には来てくれるみたいなんやけど、オペとか診察で忙しいみたい」
とのこと。
『なんだって!?』
とはさすがに言えませんでした。
私は痒いだけ。先生は、人の命を救ってる。
私は痒いだけ。ただ、痒いだけ……。

ほっとしたのか、がっかりしたのか泣けてきて、泣いてる理由も馬鹿馬鹿しくて情けない……。
死なずに済んだのに、たかがホッチキス数十本になに私こんなにムキになってんだろう。と思うと、涙が止まらなくなりました。
あのときは、自分でもなんで泣いているのか分からなかったです。
今やっと気付いたのですが、私は新しい自分の身体が怖かったのだと思います。
これでどうやって生きてくんだという不安と悔しさが、爆発したきっかけが抜鉤だっただけ。

でもそんなこと、家族にも分かるわけないですよね。
「あんた…、なんで泣くん」
と呟いた母の苦笑い、今思い返しても笑えます。
そうじゃない。そうじゃないんよマミー。
ホッチキスのことなんて、なんならもうどうだってよかったんだよ。

その涙のわけ 


最近あなたは、いつ、泣きましたか?
嬉しくて?悲しくて?悔しくて?むかついて?
涙にもいろいろと種類があって、感情にすぐに反応して流れる涙もあれば、
時差で溢れるものもある。
自分では原因が分からない涙は大抵が後者で、だから
「なんで泣いてるの?」
と聞かれても答えられませんよね。

私だって、4年前の涙の理由がやっと今分かったんだから。
だから、泣き虫な自分のことを、あんまり責めないであげてください。
それ頑張って向き合った証拠ですよ、きっと。
だから泣いている人を見たら、わけを聞く前にぎゅっと抱きしめられる人になりたいです。よく耐えたね、って。


あ、そうそう抜鉤。
30日の夕方、慌てて先生が来てくれました。
「ごめんね!遅くなっちゃって…抜鉤しようね!」
私が泣いていたことは看護師の報告から耳に入ったのでしょう。
こちらこそ、ごめんなさいですよ。そうじゃないんです。
抜くのも怖いし、刺さったまま帰るのも嫌だし、なんの覚悟も決めきれない自分に痺れを切らしただけなんです。
抜いてくれてありがとう。
「痛くないからね」
と言われつつ、抜鉤中タオルで歯を食いしばりながら目をかたく閉じていた私。
拷問じゃないんだから……。
誰の目にも相当臆病に見えたでしょう。

おかげさまで、いい年越しを過ごせました。









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