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たぶん大丈夫。知らんけど。
美味しいものを食べたり、綺麗な景色を眺めたり、好きな人たちと過ごしたり、
これまで私はそういう「自分の時間」を大事にして来なかったのかのかもなぁ、と実感しながら、充実した時間を過ごした夏でした。
ウニが好きだったことも、自然が好きだったことも知らなかったし、
酔うためだけのお酒じゃなくて、味わい癒されるためのお酒を求めるように。
現在よりも大事な過去は無い。
それを体感して、以前よりも自己理解を深められたつもりでいました。
けれど、大阪に帰るや否や抱いた違和感がどうしても拭えなくて、陳腐な表現になるけれど、「ここじゃない」と思うように。
そのときは、それが自分の変化の証だとは捉えられず、ただ周囲の人や環境に拒否され否定さているように感じました。
ここで今、私はもはや邪魔なのかも知れない。
しんどい。
ペースを合わせるのも、顔色や声色を伺いながら生活するのも。
そんな違和感を押し殺しているうちに、また、過去の映像や耳鳴りが蘇ってきて、これまでどうやってバランスとってきたっけ。分からなくなりました。
一度崩壊したダムは止まらず。
もう、いつだって不安定な状態でした。
「またそうなったら連絡してね」
そう言ってくれた優しい声はかき消されて、未だに原因があやふやな雑音に寝られなくなりました。
それでも割と呑気でいられたのは、
「落ちるところまで落ちれば、どうせ浮かび上がるしかない」
という、底抜けにポジティブな母や祖父のDNAが少なからず私にも備わっているからだと思うと、深い愛情すら感じました。
一人で生きているわけじゃない。
いつだって、誰かと一緒、支えられながら生きている。
でも…、
分かって欲しいと思うことは卑しい気もするし、
でもやっぱり分かって欲しいし、分かろうとして欲しい。
ぐるぐる、ぐるぐる。
またいつものやつです。
この声は、もう一生消えないと思う。
心身が弱っているときに、隙あらば再生される。
それを医学会では”トラウマ”と呼ぶのかも知れないし、幻聴、フラッシュバック、呪い、etc,いろんな解釈があるけれど、
結局自分でどうにかするしかないんや、
理解しようと、うまく付き合っていこうと折り合いをつけるのは、最終的には私一人にしかできひんのや。
そう思うと、むしろ楽になりました。
理解されなくていいや。
私が分かっていればいい。
私が戦っていることを。
受け入れようと四苦八苦していることを。
今日も生きていることを。
だから「こうあるべき」を捨てて、”居たい場所”で”ありたい自分”でいようと思いました。
それからまた北海道に戻って、驚くほどすぐに耳鳴りも消えて、
毎日毎日、時間が過ぎるのが寂しく感じられるくらい、楽しく愛おしい日々に。
享受していいんだ。実感していい。めいっぱい。幸せにかぶり付いていい。
うっひょー☆って感じ。
心理学会では、インナーチャイルドなんて言葉をよく聞きますが、もしかしたら私のチャイルドはずっと、これを求めていたのかも知れないな。
なんて思いながら。
どんなに地元や家族から離れても、過去を忘れようとしても、
麻痺した左半身が、嫌でも教えてくれます。常に。
「私はわたし、ずっと。何があっても」
今笑っていられるのは、私が私だったから。
こんなに愛おしい、有難いと思える人たちの傍にいられるのは、過去の連続があるから。
そんな当たり前のことに、感動しちゃったりなんかして。
結局、どこまでいっても逃げられないんよね。
私からは。
でね、具体的に何故、地元を離れた北海道でずーっと安定した精神状態でいられたんだろうって考えたときに、
浮かんだ答えがふたつ。
ひとつめに、「人の陰口を言わない。悪口に関わらない」
これはどこにいても、ずっと意識していたことではあるけれど、大阪や東京といった都会にいるとどうしても情報の滝を浴びます。
知りたくないことも、聞きたくないことも、ときには言いたくないことさえ無自覚にポロリしちゃったり。
言霊ってあるのかもね。
ネガティブな言動はブーメランみたいに巡り巡って、容赦なく汚されます。
どんどん嫌な自分に。
大自然に囲まれて生活すると、情報量が少ないの。
少ないっちゅーか、質が違う、全く。
すっきりツルっと清潔で、もっと入れたい気持ちいい情報なのです。
ふたつめに、「出来るだけ気持ちを言葉にする。我慢しない」
便秘になったらしんどいもん。
そら言葉だって詰まったら相当なストレスです。
好きなものは大声で。
嫌なものは理由を丁寧に、正直に、落ち着いて伝える。
それだけで、今自分が大事にすべきものがひょっこり浮かんでくるんだと思いました。
そもそも、伝えたいことを本人に伝えられる環境こそが奇蹟で、
明日はどうなるか分からないけれど、今目の前にいることがミラクル。
だったら言っちゃおうぜ、って思ってん。
そういう生き方をしていたら、なんか、以前よりもすっきりとした人間になれたように思えたんです。
気のせいかも知れないけれど。気のせいでもいいねん。
だって、近くにハッピーな奴おったらなんかハッピーになりません?
……
馬鹿っぽい理論だなぁ。(笑)
まぁでも、きっと大丈夫です。
何もかもうまくいくような気がします。
気のせいかもしらんけど。