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正常な人なんていないでしょ?どうせ

昨日、脳の半年検診で病院に行ってきました。

大切な場所で、かけがえのない入院生活を送らせてもらったホームみたいな場所。
昨日も病院についたとき、
「ただいま」
って言いたくなりました。

でも…、とは言えやっぱり怖かった記憶もあって、嬉しいんだかやるせないんだか、よく分からない気持ちになります。あれからもう3年以上も経つっていうのに…。

チキンライスがこびりついてる


懐かしい院内。
国内有数の脳神経外科病院なだけあって、朝一の予約であるにも関わらず、すごい患者さんの数でした。
受付を済ませ、いつも通り2階の検査室へ。
2階にはふたつ、自販機があるんです。
入院してたとき、毎朝ここに来てコーヒー買ってたなー、とか
夜中に勝手に病棟を抜け出し、売店横のベンチで本読んだなー、とか
私、ここでも我儘ばかり言ってたなー、とか懐かしい思い出たちが蘇ってきて、
2、3日だけ再入院とかさせてくんないかな、と思ってしまいました。

今だから、ここでの半年間の入院生活が楽しかったものとして思い出せるけど、
当時はもっと他に大きな感情を抱えていたはずで、悩んで苦しんで、自販機でコーヒー買うだけで紛れる鬱憤があったはずなのに、
全然思い出せないのが寂しくて、なぜか申し訳なかったです。
少しでも思い出せたなら、
『私はそれを乗り越えたんだ』
って自信にも繋がるだろうに、あのとき必死にもがいていた自分がどっかに追いやられちゃったみたいで、忘れてごめんね、って言いたくなりました。
今の私なんかより、あなたの方が、よっぽど強くて逞しかったよ。
生きててくれて、ありがとう。

そしてやはり、MRI検査中はエンドレスで『♪チキンライス』が流れます。脳内でね。

生かされた意味


そして診察室へ。
執刀してくれた主治医、M先生とも半年ぶりの再会です。
約11時間に及んだ手術。
手術室から出て来たときの先生は、文字通り『真っ白に燃え尽きていた』と、後に母から聞きました。

初めて先生に会ったとき、私は自分が一体どんな気持ちでいるのか分かりませんでした。
「もう施す手がない」
と言われたらどうしよう、という心配もありましたが、それは”不安”とも”恐怖”ともつかない感情だったように思います。
あのときの気持ちを言語化する語彙力が、私にはまだないようです。

そんなこと思い出しながら診察室に入り、先生の顔を見た途端、うわっと涙が溢れました。
先生もビックリ。そりゃそうだ。

「久しぶりだね。元気?なんでジャージなの?」

えーっと……。そこ?
相変わらずマイペースな先生の前では、いつも感情のコントロールが効かなくなります。
私の病気について、誰よりも理解と知識のある命の恩人だから、安心するのかな。
私にとっては、みたいなもんです。

雨の日には麻痺がひどくなること。
寒い日は、右側を向くと左目が圧迫されてほとんど見えなくなること。
同じ夢を繰り返し何度もみること。
感情の起伏が激しく、TPOに関わらず気持ちが爆発して涙が出ること。
家族にも友人にも言えない悩み事も、先生になら話せます。

「もうすぐ手術から4年だね。そうだそうだ、あれは年末だった」

もし再発したら…。
このまま何かを積み上げていったとしても、意味あるのかな。
誰かと出会って何かしらの関係を気付くのも、意味あるのかな。
先生が明日のジョーになってまで救ってくれたこの命に、意味はあるのかな。

絶えず浮き沈みを繰り返す感情の底辺を、ずっと低空飛行してるみたいな、ここ最近はそんな気分でした。

この世は精神病院


「ほら、これ今日撮ったMRI。手術直後から変化ないでしょう?もうすぐ4年経つ。だからきっと次の4年も大丈夫。だからって落ち込むなと言うわけじゃないし言えないけどね。」
私は今でも、救われ続けています。
外科的な措置はもう終わったかも知れないけど、こうして今日も、先生の言葉にすくい上げられました。

「PTSDだね。目は脳幹と中脳の問題」

PTSD (心的外傷後ストレス障害)
私には一生関係のない言葉だと思っていました。
心は問題ない。
でも、そう診断されたとき、なぜかほっとしました。
鬱の患者が鬱だと診断されてほっとするというのはよく聞きますが、これもそういう感じなのでしょうか。
私が不安になったり、急に泣いてしまうのにはわけがあって、しかも病名までつけられてる。
私は正常。
正常……。
正常?(ゲシュタルト崩壊しそう)

人の正常な状態ってなんですか?
正常な人っていますか?
いなくない?
程度の差こそあれ、人間全員精神疾患者じゃない?
人やモノに対する執着心とか、無理して笑う強がりとか、コミュ障とか、過剰な承認欲求とか、〇〇恐怖症とか。
いろんな症状があるけれども、実は自己防衛だったり、自分の穴を埋めようとすることの反動じゃない?
恋愛にしても推し活にしても趣味にしても、なにかに物凄く熱中している人を見ると、
『患ってるね~』
と、羨ましくもなります。

『生きる』ってそういうことだよなぁ、と思います。
なんにでも意味を見出そうとするのも人間特有の思考回路だし、面倒くさくてうるさい生き物だけど、なんやかんやで、楽しいです。
誰にだって、悩みやコンプレックスはある。
正常でなくていいし、目指す必要もないんじゃないでしょうか。
この世に生まれたことが、もうすでに生きる意味だから。

もう右向かないで


「えーっとね…、もう右向かないで(笑)視界が悪いってこと、わざわざ確認しなくていい。右、もう向かなくてよくない?」

M先生。
深いんだか特に意味はないんだか、もう私には読めません。
でも、うーん…。
確かに私は、自分の妄想に苦しめられているだけのような気もします。
しかも『悪い』妄想から。そっちの方向ばかり見ていました。
自分で作り上げた空想妄想から生まれた不安と落ち込みなら、時間をかけてでも捨てられそうな気がします。
右、向くのやめろって言われても、たぶん向いちゃうんで、
『私の右の世界はこういうもん』
と開き直って受け入れていけたらいいなって思います。

やっぱり大事な時間だった


最後に、
昨日、一昨日のエッセイを読み返して気付いたのですが、
『嫌われるのが怖くて笑っていた私』
は、この病院にきた最初の数か月間、一切笑わない時間を過ごしました。
他人に嫌われるとか好かれるとか、心底どうでもよかったです。
どうせ死ぬから。
あの笑わない期間は私にとって、とても大きな意味のあるリハビリの一環だったように感じます。

あなたの方が私よりも強くて逞しいかも知れないけど、
の方があなたより笑顔は上手だと思うよ。






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