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居場所をくれてありがとう
以前同じハッシュタグに投稿したのですが、その時は中学時代の部活について書きました。高校時代についても書いておきたいなと思ったので、再び投稿させていただきます。
高校は陸上部のマネジャーをしていました。マネジャーとしての部活動は本当に楽しくて充実していました。選手のサポートをしたり練習や試合の準備をするのが私の性にあっていたようで、自分では天職だなと思っていました。大変なこともたくさんありましたが、できることならこのマネジャーの仕事だけで一生生きていきたいくらいでした(笑)
でも最初からマネジャーとして入部したわけではないんです。
最初は選手として入部していました。
私が通っていた高校では入学から2週間ほど「体験入部」の期間があり、その後「入部の日」を迎えてそこで一斉に新入生は部活に入ります。部活に入る入らないは個人の自由です。「何かしら部活には入るぞ」と入学当初から決めていた私ですが、やりたいことも見つからないまま入部の日を迎えてしまいました。
それぞれの教室で入部会が始まってしまい、どうしようどうしようと一人廊下で焦ってしまいました。そして結局、中学からの友達がいるという理由だけで陸上部の教室に飛び込んだのでした。
入部当初、マネジャーというものにあこがれていた私はマネジャーに志願しようかと思っていました。しかし選手として入部してきたと思われてしまったこと、長距離の選手が足りないことなどがあり言い出せず、私は長距離選手として部活動をすることになりました。
私はマラソンなどが嫌いでした。ただ走っているだけの何が楽しいんだろうと思っていました。練習メニューも本当にただひたすら走るだけ。今日は10キロ、明日は20キロ、という感じで、ただ走る距離とペースだけが違うような練習に私は感じました。本当に面白くなかった。
同級生や先輩は経験者ばかりだったので、初心者の私はなおさらついていくので精一杯でした。面白くありませんでしたが、それでも必死に食いつこうと走り続けました。毎日肺が破れそうになるくらい周りのペースにしがみついていました。少しずつタイムが早くなり、顧問に「前より早くなったなぁ」と言われたときは本当にうれしかったです。
でももともとは嫌いな種目、それに成り行きでやりたいことも言えないまま始めた競技。続くわけがありませんでした。練習が辛くなり入部して3か月後、私は練習に行かなくなりました。
逃げ出してしまった自分が情けないと思いました。マネジャーをやりたいと最初に言えなかった自分が憎くて仕方なかった。やりたいことを言えばそれでよかったのに、今さら言うなんてことも逃げてるのと同じだし…と思うと、顧問に言いに行くのも憚られました。同級生から心配のメールをもらい、悩んだ結果「次の大会で最後にする」という決断をしました。やめるにしても、ある程度のけりを付けてからやめたいと思ったからです。無責任に始めてしまったことだから、少しでも形にしたかった。それが私にできる精一杯でした。
テスト明けの放課後、同級生とともに久しぶりに練習に行きました。顧問は怒るわけでもなく、おぉ来たか、という感じで特に何も動じませんでした。しかし準備運動を終えた私に向かって「今日は久しぶりだし、走らずにちょっと手伝ってくれんか」と私にストップウォッチを渡してきました。タイマーの人手が不足しているから計ってほしいと言うのです。
不思議に思いましたが、正直私がやりたいことではあったので言われた通りにしました。先輩のマネジャーがやってくれていたように、私は長距離選手たちのその日のラップタイムをひたすら書き込んでいきました。長距離選手は1回の練習で1時間は走ります。その間ひたすらラップタイムを記録し続けるのですが、私は苦ではありませんでした。
そして練習メニューが終わりひと段落したとき、顧問が私に話しかけてきました。「どうだった?面白かったか?」と言われ、どう反応していいかわからず困っていると「こういう仕事もあるけど、やってみないか?」と顧問は言いました。「せっかくこの部活に入ってきたんだから、一緒に最後まで頑張ってみないか?」と私に言ってくれました。
私がマネジャーをやりたいと勘づいたのか、長距離やりたくないんだなと気づいたのか、真意はわかりません。ただ、一度は練習を投げ出した私を引き留めようとしてくれているのが、驚き以外の何物でもありませんでした。こんな私を置いてくれるのかとさえ思いました。
顧問の気にかけてくれる気持ちと、あこがれだったマネジャーという仕事が目の前にあることを逃す手はなく、私は顧問に対して深く頷きました。「よっしゃ、それじゃあよろしく」と顧問は私にほほえみました。「今日からマネジャーとして頑張ってくれるからみんなよろしくね」と顧問が全体にアナウンスしました。正直、この時のみんなの反応を見るのが私はすごく怖かったのです。練習が辛くて逃げたのがあからさますぎて、情けない目で見られると思ったからです。
でもみんな「やめないんだ!よかった!よろしくね!」と私と握手してくれました。残ってくれるならそれでいいとみんな言ってくれました。
私は恵まれてるなと心底思いました。
たった3か月しかまだ一緒に過ごしていない、しかもその短期間で練習辛くて逃げ出した相手に対して、残ってくれると喜んでくれる。逃げ出した私の根性のなさよりも、辛くてしんどかった私の気持ちを優先してくれた。それが本当にありがたくて。私は頭が上がりませんでした。「こいつ逃げたんだな」と内心思った人もいたと思います。でも誰も態度に出さなかった。私が居づらい空気は何一つありませんでした。
この人たちのために、全力でマネジャーとしてサポートしようと誓いました。
翌日からはマネジャーとして毎日部活に行きました。私がマネジャーになるまでは先輩が一人で仕事をしていたので、長距離の人手は減りましたがマネジャーの人手的には貢献することができました。
それにマネジャーという役回りが私はとにかく楽しくて。大会の日などは休みなしに選手がエントリーしているので、選手よりバタついて本当に忙しいのですが、それでもしんどいやめたいと思ったことはありませんでした。「マネジャー大変だね、大丈夫?」と選手に気遣われるほどでしたが、全く私は大変だとは思っていなくて(笑)「全然大丈夫!」と心の底から答えられることがうれしかったです。
その後、私は引退するまでマネジャーをやり通すことができました。
辛くて逃げ出したことは、やはりみんなに対して失礼なことをした気持ちが残っています。しかし、そのあとにチャンスと居場所をくれた顧問やみんなには感謝が絶えません。
高校卒業してもう10年近く経とうとしていますが、あの時の感謝の気持ちは色あせることなく私の中にあります。
高校生活、しんどいことも本当にたくさんありました。それでもあの3年間楽しかったなぁと思えるのは、陸上部にいることができたおかげです。何の脈絡もなく入部してきた私を迎え入れてくれたみんな、投げ出した私を再び迎え入れてくれたみんなに、いままでもこれからも感謝しています。
本当にありがとう。
ぱんなこった