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[読書感想文] 眠りつづける少女たち

*注意:原因究明系のドキュメンタリーではありません!

読み方を知っておかないと損する本だった、という印象。

前半まで微妙で、後半おもしろくなる。というか、後半でようやく本書の書き方がわかってくるというか。半分くらいまで、読んでてあきらめそうになったが、後半過ぎてから一気に読み終わってしまった。

眠り病とは一体…!?とドキドキしながら読み進めるが…?

タイトルにもある「眠りつづける少女たちについて」が一章で語られるのだが、まさかの何も解決しないまま終わる。

いや、まあ、この人が伝説の医師で謎だった病を癒しまくるとかいうのはもはやファンタジーなのでそれを期待しているわけではなかったが、せめてなにか回復のきっかけとかおそらくの原因とかそういうのを見つけた話を紹介してほしかった。

病気について「これは文化によるものだ」みたいな自論を色々語っただけで、医者としてマジでなんもしてないどころかそれまで女の子の世話をしていたローカルの医師に、他国の医師への不信感を与えただけに見えた。

前半ではそんな眠り病を初めとして、震えやけいれんを起こすグリシシクニス、周りの刺激に反応しなくなるあきらめ症候群、コロンビア大使館の職人に起きた謎の頭痛であるハバナ症候群などなどがどんどん紹介されて、ぜんっぜん解決しねーなー、となりつづける。途中から結構斜め読みになってしまっていた。

そのあと、マジで半分も過ぎてくらいでようやく、本書のキーワードであろう「私たちは物語(ナラティブ)を身体化する。」というのが出てくる。つまり、人間は結構心の影響が身体にでてしまうので、誰か1人が病気になって、それを見た周りの人が自分もなっちゃうかもと思ったり、医師にそう診断されたりすると、似たような症状が出てしまうケースがある、と。そしてそんな人達が増え、症候群になっていく。なるほどね… って、最初の人の症状はなぜ起きたんだってばよ?

ということで、この本は「眠りつづける少女たち」を起こしてあげるとか、原因がわかるドキュメンタリーでは、ない!

著者は医者ではあるが、ここでは治療ではなくあくまでも調査なので、原因解明もしないし、できない。

タイトルにもちゃんと書いてあった。「謎の病を調査する旅に出た」とか「人間の不思議に迫る」とかであり、解決するなんて全く書いてない。…でもさぁ、病気に関する本だったら解決すると思うやん?

眠り病の次はグリシシクニス

謎の病気っぽい響きすぎるが、クレイジーシックネスのもじり。日本語にするとキチガイ病とかになりそうでヤバいな。

そして文化によって病への反応は違うとのこと。風邪っぽい症状が出たら日本だと首にネギを巻くとかあったし、そういう病への対応はかなりシャーマンめいてはくるが、それはあくまでも病への対応であって、体の反応が文化で異なるというのはわからんかった。原因が同じでも、文化によっててんかんになったり眠り病になったりするのか?

てんかんという、突然泡吹いて倒れるような、よく考えると一見不思議な病気が文化によって悪魔付きにされたり、精霊がどうこうと扱われるという話なら理解できるが、そういう話はされず、結局グリシシクニスがなんなのか、よくわからなかった。なんかやっぱりごまかしてるというか、なんだろう、この人が何を調査したいのかが全くわからん。

翻訳がたまに微妙。あと構成も

翻訳が割と良くない気がする。直訳的でわかりにくい文章が多い。

「しかし心身症をそのようにとらえることは、とりわけ唯一の引き金として、あるいは確実に定義されたトラウマとしてストレスが解釈される場合には、問題を引き起こす。」

何回読んでもよくわからん。何言ってんだ?
前半の読む気が薄いときにこういうのが出てくると一気にペラペラっとページを読み進めてしまうわ。

あと、章立てがよくわからないことになっている。
同じ患者の話が1章と4章で語られるのだが、3章はぜんぜん違うことを話していたのに4章で当たり前のように1章のことから続いて話される。場所順イベント順に並べてくれよ。わかりにくいよ。せめて接続詞を入れてくれ。

心因性の病気

重度の喉頭炎でしばらく声を出せなくなった人がいるとして、その人がまた風邪などで喉の痛みを感じると、前の経験から想像してしまい、ほんとは話せるのに声が出なくなるという、心因性の現象が起きうる。それと似たようなシステムが眠り病などでも起きたという解釈。

愛着を持った故郷を捨てなければならないという困難によって引き裂かれた集団はどういう影響が出るか。その例が眠り病だったり、子どもだと暴れたりする症状として発動した、と。なるほどなー。

確かに学校行きたくない… なんか体調悪い気がする…とか思ってると実際体調悪くなるみたいなのは自分でも体験したことがあるので、それのきっついバージョンと考えれば理解できる気がした。

他者によって書かれたナラティブを実演

身体化と予測符号化によって、他者によって書かれたナラティブを実演するよう仕向けられたと考えられる。

p226

ここだけ読むとSFだが…
このあたりでなんとなくこの本の方向性が分かってきた。ようやくだが。

ひとたびある人にレッテルを貼れば、その人は貼られたレッテルが示す特徴を帯びるように導かれるということだ。

あなたは多重人格障害です、と診断されたらそうなのかやっぱり!と突き進むだろう。これまで紹介されてきた眠り病とかも同様。一度診断されると他の人も同じ症状です!と言ってきて、そう診断されて、でもちょっと違う感じのやつもまとめられてどんどん定義が広がっていく。

…それは分かったし、内容的にも面白かったけど、話はそこじゃなくない?結局この眠り病はなんなんだよ。

集団ヒステリーの仕組みも面白いけど、知りたいのは眠り病、あきらめ症候群、ハバナ症候群が最初にどうして起きたかなんだけども。そこは結局謎のままなのである!

私たちは物語(ナラティブ)を身体化する。

p243

ここだけ読むとなんかかっこいい。というかこれを帯に書けばよかったのでは。
病気が起きると、家族や周りの人が悪魔憑きだとかワクチンのせいだとか昔の惨劇がどうとか、非科学的な物語を語って非難し、そのストレスで更に悪くなるという悪循環。なんか人は愚かだなぁとしか思わない。特にメディア。あと環境活動家、反ワクチンなどなどでどんだけ悪影響が出てきてるんだろうな…

なんか、病気になったけど心の持ちようで治ったみたいな逆パターンについて書かれているものを読みたい。こういう、人間の負の歴史ばかり読んでいるとこっちもストレスで病気になりそう。でも逆パターンはそれはそれで信じる者は救われる的なスピリチュアルな方向に行きそうで怖いなぁ。

著者も書いているが、結局、原因が心であれ化学物質であれ外傷であれ、結果である病気が変わらないならそれを治療すりゃええやんと思ってしまうのだが、なんでそんなに人は執拗に原因を求めるのだろうか。

とはいえ、治療側としても原因がわからなきゃ再発を防げないし、下手すりゃ病気の同定もできないし、難しいんだろうけど。治療よりも原因究明が大事というケースが、本書の中でも結構あったな。

心による病気は軽視されやすい

心による病気は、肉体の不調を伴う物理的な病気に比べて軽視されやすい風潮はなんなんだろう。やっぱり証拠がないからか。

でも、怪我は放っといても治るけど心は治らない、というか、治ってもわからないもんなぁ。甘くは見れないはずだが。

p186にもあるが、ストレスによる病気だというと、周りの人は関心を失いがち。保険会社ですら。器質的な変化がないことも多いからか。

p322では、少女たちの病気についてどっかの環境運動家が40年前の鉄道事故が原因とか言い始めたらしく、なんか読むのがアホらしくなってきた。が、ここまで300ページ以上読んできてるので終わらせなければ。斜め読めで。

とはいえ、第三者だからみんなアホやなぁと思えるわけであって、病気になった娘たちの親だったら診断しても原因がわからない医師チームより、謎の外部チームに希望を感じるというのはあるんだろうなぁ。

発病者が若い女性だけだと集団ヒステリーと診断されるが、年長の人や男性がいると別の病気になる。

この病気になるのは子供だけですとかそういうのとは別に、偏見が診断に影響するケース、めちゃめちゃありそう。その診断が正しい治療につながるなら良いけども… 診断されて終わりというケースだらけなんだろうなー。

診断基準の変化により患者予備軍が激増

「西洋医学が、健康そのものの人々から患者を作り出してきたことを示す事例はたくさんある。」

p381

基準が厳しすぎて、これまで「健康」だった人々が突如予備軍になってしまう、というのはあるあるすぎる。

何も起きなかった場合は予防プログラムのおかげとして医者はドヤ顔をできるが、放っといても何も起きない人々を「診察」してもそれは起きる。ズルい。

もっとヤバいのは、予備軍にされてしまった人たちが、レッテルを貼られたことで症状を実現させてしまうこと。
ちょっとした不調を大病だと思い込んでしまったり、その不安で別の神経症が起きたり。全然あるー。

実際、西洋医学じゃなくても日本でも調べようと思えば40歳オーバーの自分はもう死んでるようなものと言えるくらい何かしらの「予備軍」に分類されてるんだろうから、絶対調べない。
周りから「厄年だからお祓いしてこい」と言われて急に不安になるのに似ている。

病は本人と、それに名前をつける医師によって定義される、本質的に文化的な現象なのだ。

p385

病気は文化によって異なる。たしかに肥満というだけでもアメリカと日本は著しく異なる。
だから、下手すると患者の背景を知らない医者の治療は役に立たないケースがある、と。骨折とかがんとかならともかく、心因性のものは文化の理解が必須だろうなー。精神科界隈ではこれは常識なのだろうか…

昨今ますます、人々はレッテルや検査を求めるようになりつつある。社会は、絶対的な答えを出すよう医師に圧力をかけ、何かを見落とす医師を罰するようになってきた。

p396

色んな例が思いつく。コメントするのもだるいレベル。めんどくせー世の中だよな、ほんとに。どうしてこうなった。

ADHD大国アメリカ

このタイトル通りの本が出てるらしい。ちょっと気になるけど、本を読む度に別の本が気になるから永久に積み本が減らんねん…

それはともかく、ADHDと診断される人が増えてきているという話、どこの国も同じ状況になってきている気がする。子どもも大人も、ADHDの人だったり、そう自称する人をとても良く見る。まるでステータスかのように。

そして今思えば、ADHDには治療薬があるんだよな… 治療薬があるということはビジネスなわけで、患者が増えれば儲かるわけで… そういうことなのでは…?

あと、どう考えても文化的側面が影響する。例えば自由な発言が許されている教室なら、いきなり発言する子がいてもADHDと判断されないかもしれないが、発言が全然許されない厳しい教育の国ではそう判断されそう。下手すれば同じ国でも判断が変わるだろうな。

医学は文化的なものであり、特にアメリカの医学を他の国に持ち込んでドヤ顔をする医師たち呪われよ、みたいなこと書いてるけど、著者本人もイギリスの医師なのに、スウェーデン、カザフスタン、コロンビアに行って現地の病気を色々自分の尺度で判断した結果を書いてきてましたよね…?と思ってしまう。
まあ、少なくとも彼女はレッテルを貼りに行ったわけではないけど。なんかモヤモヤするわ。

この話とは逆に、明らかに肉体的におかしいけど心身的な理由で上手くいっている、というケースはあるんだろうか。ご飯食べてないけど生きてるとか、ずっと寝てないけど問題ないとかそういうのか?
そういうの心の健康に良いやつも読ませてくれー。

まとめ

というわけで、読み終わった結果としては面白い本だったと言えるが、前半で諦めてたら正反対の評価だっただろうな。

とは言え、後半の内容の文化的背景で診断が変わるとか、レッテル貼りで症候群が起きてしまうとか、そういう内容自体は面白かったものの、結局この本で紹介される様々な不思議な病は完全に不思議なままで終わる。そういう意味では、期待通りの面白さではなかった。

どちらかというと、「症候群はなぜ起きるのか?その心理的背景に迫る」みたいな切り口だったら最初から最後までなるほどと読めた気がするんだわ。

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