やっぱり、お金なのかな
「私鋳銭」
官銭を模造して民間で鋳造された銭貨。 わが国では中世から近世初頭にかけて、しばしば官銭が不足し、また、政府のガバナンスも弱っていたため、官銭のものと混入して通用した。 織田信長の旗印に掲げられた「永楽通報」も中国の通貨であり、官銭ではないが、日明貿易や倭寇などから国内に大量に持ち込まれ、政府も崩壊の状態にあって、しかるべき官銭を発行できなかったことから、江戸時代初期まで流通していた。
さて
僕らが「ポイント」と呼ぶもの。買い物するたびに溜まっていくやつ。その「溜まった分」って、僕は、まさに「私鋳銭」なんじゃないかなと思っている。「永楽通宝」みたいに高域で流通したものもあるけれど、戦国大名ごとに微妙に流通貨幣が違っていたみたいに「楽天ペイ」があったり「PayPay」があったり。今はどの「ペイ」が永楽通宝になるか、争っているところかもしれない。
っていうことは
日本円の力が弱まり、そこに私鋳銭が入ってきた。つまり、日本政府のガバナンス能力も弱まっているし、日本という国の経済力も弱まってきているということなんでしょう。「PayPay」は「中国から」、「Amazon」は「アメリカから」なんだし、そういうものが市井では、立派に「決済能力」を持っている。日本国内で通用しちゃってる。
だから、市井で一般的な「株式投資で日本円を増やそう」みたいな投資は危険だと思っている。増えてもインフレの方が進んじゃってるだったら、儲かってんだか、損してるんだか判らない。実際、今の株価がいくらであっても1980年代末に比較すれば「1円」の値打ちが違うでしょ。あの頃に比べたら、今は「0.X円」とかなんでしょ。貯金だって、通帳にいるうちに目減りしていく。
(そもそも資産規模からいって、街場の僕らと資産10兆円のお金持ちの勝負なら、幕下付け出しと横綱の勝負だからね。勝ち目がない。推計だけど、そういうお金持ちも静岡市1つ分はいるわけだし。あまりにも遠過ぎて、僕らの目には入らないけど)
だからってポイントが官銭のような安定感を持つわけじゃない。下手したら、その「安定感」の部分を外国に握られちゃうのかもしれない。
…というわけで、お金から距離をとろうとする人も増えるんじゃないかな。
例えば
食べるものを「買い食い」するんじゃなくて、自分で作ろうとするとか。物物交換をもっと生活に取り入れるとか。うちの奥さんも、うちのイチジクと、ご近所さんのスダチを交換したり、おばあちゃんのところの片付け手伝って芋とか野菜をもらってきたりしている。
畑も2007年に(06年だったかな)小さな屋上畑から始めて、今は庭と小さな畑と、そのために郊外に引っ越してきて5年になる。
「買う」にしても、ご近所農家さんから直接買う。スーパーみたいな「流通業」を省けば、バカみたいに安くなる。しかも野菜はブランドではない「距離」だ。ハンパなく美味い。
で。
稼がなくて済む。少なくとも煩わしい仕事に縛られている時間は減る。
塩見直紀さんの「半農半X」も今や農水省がレポート上げる言葉になったけど、僕らもそういう感じなのかな。まちづくりな仕事を辞めたわけじゃないし。
作家さんやタレントさん、俳優さんにも帰農する人が増えてきたように思う。あの森永卓郎さんも、自分も畑やりながら『森永卓郎の「マイクロ農業」のすすめ』(農文協)なんて本を書かれてる。
当分、どのお金にも安定性ないし、みなさん、幕下付け出しが横綱と闘う徒労感を知ってらっしゃるんじゃないかな。
どうやったら狭い畑で収量をあげることができるか、連作が効くようにするのか、そういうことを工夫するのも投資だし、ご近所農家さんとのつながりつくったり、「農」を通じて同世代の仲間をつくっていったり、若い人たちとであったり、そういうことは、自分が歳とったときのソーシャル・キャピタルになるし。
僕はお金稼いで貯めるより「安心」だな。
「安心」を貯めたい。
しかも、野菜は「美味い」だよ。高級スーパーで買ってくるより、確実に美味い。で。お札は食えないでしょ。