これからの本屋さんは
急速に市場が縮んでいく「これから」
ビジネスな感覚で商材として「本」で利益を上げようとする
「小売業」な「本屋」さんは難しいと思う。
「八重洲ブックセンター」的な「規模」をもってしても、全世界を股にかけるAmazonの「規模」にはかなわないだろう、マス的な市場は経済的にも本を買うゆとりを失っていく。介護や育児は「自助」だし、1970年代前半の生まれの人々についてでさえ、国家に拠る「年金」は機能しなくなるともいわれている。
(それに「マス市場」の消費者こそ、さらに「紙の本」に固執することはなくなっていくんだろう)
「本屋」さんは、生きていくために「本」が欠かせない少数のためのサンクチュアリになる。単純に「小売として書籍を仕入れて売る本屋さん」では、万引き対策はできても、サンクチュアリはできない。
(好き嫌いに関係なく、親が「本屋だったから」という理由で「本屋」の跡取りになったような店主による「本屋」さんは、そんな「来客」のニーズに応えられないだろう)
入場料を支払ってでも、その「本屋」さんに居る時間を過ごしたい。Amazonではとうてい見つけることができない本を教えてくれる。
そういう本屋さんは、少なくともプロの「本好き」だ。しかも、主観的な「好き」を押し付けるのではない、やわらかい人物だと言える。
(主観的な「好き」を、「提案」といいながら、お客さんに押し付けるのは簡単だ。だけど、お客さんに「利他」な本屋さんは至難。ノウハウ化も不可能だし、個人に根付く技能みたいなものだろう)
業態も変わるだろう。
すでに「新刊書店」と「古書店」の壁は溶け始めている。映画「フィールド・オブ・ドリーム」の最後みたいに、お客さんが喜んで入場料を支払うような「本屋」さんも出てきている。ブックカフェ、ブックBarみたいなところも「私立の図書館」みたいなところもでてきるのだろう。今の時点では、想像もつかない「本屋」さんも出てくるんだと思う。
でも、いずれにしても「儲けてビジネス」な店ではないだろう。
「本のそばで暮らしていければいい」的な、つまり公共政策になぞらえれば、NPO、一般社団みたいなものになっていくのでは。
だって、本屋さんは、不特定多数ではなく、少数の本好きのためのもになっていくから。
「本屋」さんは無くならない。
だけど「小売業」でも、ましてや「ビジネス」でもなくなって
もっと「文化」としての存在感を際立たせていく。