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世相

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時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできてい…
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#創作大賞2024

何も変えないことがリスク

あのとき 頼りにしていた連合艦隊が、市井の国民が預かり知らぬところで、すでに壊滅していた。オフクロ方のばあちゃんは、空襲が激しくなってから「連合艦隊は何をしているんだろう」と思ったそうだ。 あまり褒められたことではないが、こういう人も少なくなたっかろう。 高度成長期以降、この国で頼りにされてきたのが、自動産業産業であり、家電系のメーカーだ。でも、「家電系」では、すでにシャープがこの国の企業ではなく、東芝は風前の灯だ。V字回復したSONYも、経営陣も出資者についても「この

サンクチュアリ

まだ、多くの人々が巨大な「フツウ」に参加して、それで生活を成り立たせているところがある。 (自分の脚で歩き始めた人もずいぶん増えたけど、まだマイノリティだ) 「フツウ」っていうのは「最大公約数」だから、剪定し過ぎの樹木のようなもの。もともと「フツウ」に生まれる人はおらず、もとはみんなが、それぞれに「個性」ある個人だ。でも、主に「食っていく」ために、自らにハサミを入れて「フツウ」になってがんばる。 だから疲れてしまうこともある、と。 そんなとき、街まで「フツウ」だったら

「ぼーっと生きてんじゃないよ」 か

できるだけ「楽(らく)」に働き、日々の買い物は便利に済ませ(つまり楽で)、水を飲むにもトイレに入るにもノーストレスで自動制御がいい。 (井戸まで水を汲みに行かなければならないのがスタンダードだったんだし、僕が生まれた頃はヨコハマの都心でも定期的に「汲み取り」をしなければならないトイレは残っていた) 仕事だって、するべきことがマニュアルに書いてあって、そのとおりに業務を処理すればいい。目の前にお客さんが来れば、誰かがつくった選択肢の中から商品を選ばせて、マニュアルどおりに商

「働く」が危ないから

お金に働いてもらって、それだけで食っていけるほどの資産を持っているわけでもない僕らは、つまり「働く」しかないわけです。「働く」は喰っていくための最後の砦ともいえる。 でも、高度成長期も半ば以降は、その「働く」を甘くみていたし、手も抜いてきた…特に高度成長な戦後日本しか知らない世代は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに「楽して儲ける」を礼賛してきた。 楽ちんで、簡単で、ノー・ストレス… 長い修行期間を経て、毎日が真剣勝負というような職種を選ぶ者が変わり者…「こつこ

孤独なファミリーレストラン

かつて大箱のロードサイド・レストランは「ファミリーレストラン」と呼ばれた。でも、そういう感じが残っているのは、郊外の一部「幸福な住宅街」にある店舗だけかもしれない。それも毎日というわけではなく、土日の中間だけかな。今は「一人客」の方が目立つ。 朝も「おひとりさま」予備軍のご高齢「おふたりさま」か、やっぱり「一人客」ばかりで、おしゃべりのない空間にクラシック音楽などのBGMが空虚に流れているだけだ。 若者がいても、ほとんど勉強している。二人で来ていても、お互いスマホをいじっ