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世相

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時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできてい…
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#エッセイ部門

津波てんでんこ

こういう時代になると、どこまで自分勝手になれるかだと思う。 状況は、すでに「津波てんでんこ」な状況。「ためらい」が命取り。非情なまでに「自分の判断どおりに行動」を連ねけるかどうか。 私鋳銭(しちゅうせん)とは、政府が発行するか、バックに居て「公」に流通する紙幣・硬貨ではない私的に鋳造されたそれのこと。この国では政府が頼りにならなくなって武士が台頭してきた平安末期から私鋳銭は流通しはじめ、平清盛は、この胴元になって「平家に非ずば、人に非ず」の時代を築く。その後、「台頭してき

闇市からのやり直し

あの頃。 大正バブルによって生じていた余剰人口を、国費を投じることでなんとかしようとした…それが当時は軍需産業。海軍工廠や三菱ドッグで戦艦を建造するだけじゃなく、兵隊さんの弁当箱を作るんだって「軍需産業」…というわけで、国家総動員法の前から、すでに一億が「軍需で喰う」状態にあり、外国から搾取してきた分を国内生産に上乗せして享受するという状態にあった、それが当時のこの国。 (余剰国民を「移民」として海外に追いやるという措置も取られていた) しかし、軍需に頼った経済振興策は

千年に一度

1964(昭和39)年の東京オリンピック。その大会で金メダルをとった女子バレーボール・チームは「東洋の魔女」と評され、この大会で国民的な話題を集めたのヒロイン(ヒロインたち)だった。ソビエト連邦(当時)チームとの決勝戦のテレビ視聴率は66.8%(関東地方)。 監督だった大松博文氏の「なせば成る」「俺についてこい」は流行語になり、それらの言葉をタイトルにした著書もベストセラー、映画化もされ、彼は参議院議員にもななった。今だったら強引ともいえるような監督がいて、選手たちは彼のス

だって世の中が

満6歳になると小学校に入学する。その後、義務教育は中学校までだが、任意ではあれ、高校、大学と道は舗装されている。政府が用意したシステムだ。 「会社に入る」も形式として整えられている。だから「就職」というのだろう。ホントウは自営の道を選んだって「職に就く」だが、そういうケースは「起業」という。「職に就く」は、どこかの会社に所属してこそスタンダードだ。 あらかじめ用意されている選択肢を選ぶ。自由に裁量しているつもりで、自分がデザインされている。最近少し変化の兆しがあるが、誰にと

東京へ 東京へ

東京から情報を発信している人。その情報の創り手も、たぶん、東京生まれ東京育ちの人の方がマイノリティ。お父さんお母さんからして東京生まれ東京育ちともなれば数えるほどしかおられないでしょう。でも、彼らが「東京」というイメージをつくている…なんだか面妖です。 1960年代末の若者文化隆盛期から、吉祥寺や高円寺あるいは国分寺、下北沢などが東京的なカウンター・カルチャー、サブ・カルチャー発信源みたいになっていきます。でも、それだって地方から上京してきた大学生たちが主役で「江戸以来」の