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記憶力とコミュニケーション力

社会は基本的に、記憶力とコミュニケーション力の二つを持っている人が形成しています。例えばコミュ障の人に「好きに社会のルールを作っていい」と言えば、自分の生きやすいルールを作ると思います。会社の飲み会は禁止とか、集団生活の禁止とか。コミュ力がある人とない人で議論をしたら、そりゃコミュ力のある人が勝るわけで、そうなればルール決めの決定権も必然的にコミュ障には貰えないわけです。記憶力もそうです。俗に言う頭のいい人です。記憶力があれば勉強も次々に記憶できるしテストも良い点を取れ成績も上がる。そうなればより偏差値の学校に入れるし、その先には大企業へ就職できるチャンスにも恵まれます。大企業に入れば基本的には一般の人よりは高い水準の人生を歩めますし、心のゆとりもできます。責任が大きくなるマイナス面もありますが、それは中小零細でも同じことです。

小学生のころ、将棋やカルタが上手い子がいました。私は一度も勝てず上手い理由を聞いたらやはりコツは記憶でした。将棋なら先に数手先を読むし、カルタなら配置された瞬間に場所を記憶する…。記憶力の乏しい人にはできない芸当です。これを淡々と言われたときの私は自分のバカな頭を呪いました。

でも、これらの事実はどうやっても覆すことはできません。記憶力とコミュ力のどちらかが秀でていたとしても、両方を備えている人にはまずは勝てません。だからこそ、そのフィールドに乗らないで生きる方法を模索する必要があります。もちろん後天的に努力をして記憶力とコミュ力を上げる姿勢を持つことは大事だと思います。何なら私も本当に努力してきました。でも、結論、生まれ持った性質は変えられないというか、正確には変えたくないという答えにたどり着きました。

社会で生きていくための切符(記憶力とコミュ力)を持っていないと、排除されるだけでなく、時には病気にもされてしまいます。上手く人と馴染めない、私はおかしい、ならば精神科へ・・・なんて考えに至る人も少なくないです。他人が決めたルール上で生きようとするから辛くなるのであって、そもそも変わる必要もないし、違う自分を強いて来る人の意見なんて聞く必要はないのです。

しかし、すぐに一人で自由に生きていく現実を手に入れるのは難しいです。生きるためにはお金が必要なので、まずは嫌でも社会に出なければなりません。そこで記憶力とコミュ力がなくても、ある程度は生きやすくなる方法としては、誠実さと優しさと謙虚さです。適当に言葉を並べましたが要は「いい人」であることです。私は世界で有名な大企業に派遣で働いたことがあります。有名な大学院を卒業した人ばかりで、頭の良い人ばかりでした。分不相応な会社だったので最初はやっていけるのか不安でしたが、派遣に重要な仕事を任されることはなく、単純かつ数をこなすような仕事を任されました。しばらくしてその中で働いて思ったことは「中小零細」と変わらないということです。やっていることは難しいですが、基本的な社会のルールは変わらず、良い人もいれば悪い人もいるという当たり前がそこにはありました。意外だったのはフロアにいる何百人という社員の一人一人が記憶力が良いので上下関係があってないようで、ないようである感じでした。意味が分からないと思いますが、例えば会議などで部長が的外れな主張をし、それを一向に曲げなかった場合、一般社員がブチ切れて論理的に矛盾を指摘して「時間がないので黙ってほしい」と直球で告げたのです。一瞬空気は凍り付きましたが、矛盾を納得した部長は謝罪をして、その後そのキレた社員とも和気あいあいと仕事をしていました。何百人と出席するような会議で公開処刑を受けた部長の器のデカさというか、本当の意味で仕事のことを第一に考えている人で成り立っているなと実感しました。

大企業の社員さんはみんな記憶力が良いので誰もが自然と仕事はすぐに覚えられます。ですが、それで上に行ける人は限られているそうです。例えば課長や部長クラスになると、学歴や統率力の他、重要視されるのが人間性だそうです。実際にセンター長が言っていました。確かに主任や係長などはたくさんいましたが、課長以上になると優しい人ばかりでした。みんな挨拶をすれば笑顔で返してくれるし、派遣だからと言って見下したり無視をしたりはしませんでした。(裏を返せばそういう人もいたと言うことです)。私は派遣でしたが、みな平等に接していました。偉い人だからと言ってペコペコはしないし、外部の清掃業者だろうが自販機補充の方だろうが、みんな同じ人間という視点で接していました。打算的に見える方もいるでしょうが、敵を作って得をすることはないので、八方美人で無難にやりすごしていました。そういった意味では打算的かもしれませんが…。でも、それで大分生きやすかったことを記憶しています。あっという間に数年という年月が経ちましたし、特別に色々な権限も頂け、できない経験もたくさんすることができました。

順風満帆に見える社員さんも結局は人間関係に苦しんでいたり、仕事の重さに精神崩壊する人もいました。休職者もいましたし、錯乱して叫ぶ人もいました。意地悪で自業自得なんて人もいましたが、身から出た錆という言葉が真理です。毎日、朝起きて会社に行きたくないと思うなら、それはあなたの性質に合っていない仕事である場合が大きいです。寝るときもそうです。明日仕事に行きたくないからちょっとでも起きていたいとか。休日前になるとテンションがやたら高くなるとか。給与と苦痛を天秤にかけて上手く釣り合う度合いを模索することが何よりも重要だと思います。なかなかおいしい仕事は別の人で埋まっていたりしますし、記憶力やコミュ力のない人は尚更その恩恵には恵まれない可能性が高いです。だからこそ、一人で出来る仕事を見つけてほしいのです。個人事業です。今すぐはムリでもいつかはと算段が付くと、それを糧に毎日の仕事も乗り切れるようになるかもしれません。私もそうでした。副業がだんだんうまく行ってきて、もうすぐ社会とおさらばだという想いが強くなっていったのと同時に、働く辛さも軽減されていきました。

社会で生きていくしても、個人で生きていくにしても、清らかな想いが大事です。心は表情や言葉や態度に出るので必然と周囲に伝わります。最初は打算でもいいから、全力で「人が見ていないところでも悪いことは絶対にしない」と誓ってみてください。そしてそれを実践するだけでも人生は好転していきます。逆に、それが出来ていない時点で上辺だけ繕っても辛い人生から抜け出せません。精神論や戯言に聞こえたとて、全力で騙されたと思って実践してみてください。そうすると余裕ができてきます。その余裕ができてから善行していけばいいのです。結局自分を苦しめているのは自分自身だと気づいたときには、自由な人生が目の前に広がっていると思います。

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