アメージング、お土産文化
週3日でオフィスへ行く夫は、かならず手土産をもってかえってくる。
これだけ聞くと、なんてマメで優しい夫なんだ! と思う人もいるだろう。
だが真実はこうだ。
休憩室のテーブルに、「よかったら食べてください」と置いてあるお土産を、文字どおり遠慮なく「家族の分まで」持って帰ってきているだけなのである。
最初のころは「もらいすぎだよ!」とたしなめていたのだが、「誰も食べないから俺が持って行かないとずっとある」という夫の言い分を聞いてからは、じゃあいいか……とありがたく一家で頂いている。
謙虚さが売りの日本人。
それゆえに「まだ余ってるけどもう自分は取ったから」精神が働き、永遠にはんぱな数のお土産が休憩室に鎮座する、という事態が起きているのだろう。
私もOL時代に「ちんすこう鎮座事件」を引き起こした張本人なので事情はわかる。
わかるがお茶をくみにいくたびに、“ちん”とも“すこう”とも減っていかないちんすこうたちを見ては
「定番すぎたか?」
「やはり高くても紅芋パイを買うべきだったか……」
などと悲しい気持ちになったので、買ってきた人のメンタルヘルスのためにも「鎮座事件になりそうだな……」と予感がしたお土産は、1人なん個でもいいから持って行ってほしいと思う。
ときに職場をざわつかせる日本の手土産事情だが、アメリカ人の夫には好評のようだ。
そもそもアメリカ人には旅行土産を職場に持っていく習慣がないから、というのもあるが、
北海道なら白い恋人
福岡なら博多通りもん
など、〇〇といえばこれ! という名産品がアメリカにはないので興味深いらしい。
もちろん、フーバーダムやグランドキャニオンといった観光名所へいけば、その名所がプリントされたマグカップやキャップ、Tシャツ、マグネットなどはあるのだが、あくまでそれは「記念品」、自分用なのである。
日本人が想定するお土産=「ばらまき用」に対応する商品(しかも消えもの)が存在しないのである。
ということはだ。
「こないだフロリダに行ったんだよね……」とロブスターせんべいなるものが誕生すればアメリカ人も友だちや職場にお土産を買っていくのだろうか。
土産の存在が先か、土産を渡す行為が先か。
アメリカに土産文化がないのは、にわとりが先か卵が先かのような理屈なのだろうか……とくだらないことを考えたり。
お土産もだが、アメリカ人の夫からみると、数時間移動しただけで違う文化圏にいけるのもスゴイと言う。
たしかに。言われてみればそうだ。
わたしは静岡住みであるが、朝とつぜん「そうだ、京都いこう」と新幹線に乗れば、その2時間後には舞妓Haaaan!!!の世界へ行けてしまうのだから。
だがアメリカではこうはいかない。
ロサンゼルス在住の主婦ティナさんが朝突然に
"yeah let's go to florida beach‼”
(そうだ、フロリダビーチへ行こう!)
となっても、車で4日(1日10時間ドライブとして)、電車で3日、飛行機で5時間30分かかる。
思い立ったら吉日、がアメリカでは通用しないことを考えてみると、日本は小さいけれど楽しい国なのかもしれない。
そんなことを、夫が持ち帰ったもみじ饅頭を食べながらおもったある日の午後であった。