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10月のぬかるみ

正しい回転

 ずっと正しい回転を追い求めている感覚である。回転とは自分の人生に必要な歯車が全てうまく噛み合って正しく回転していること、歯車は仕事であったり、生活だったり、睡眠だったり、自主制作だったりする。そしてそれぞれの歯車の大きさは1日における必要時間である。それらの歯車が全てがそれぞれのサイズに合った回転をして自分という人間を動かしている感覚。要は仕事と生活の割合の話なのだが、理想の割合通りに1日が運用できたら自分ちゃんと回転したなーという気がしてホクホク顔で布団に入れるのである。
 10月の前半はフリーランスを満喫しようと直近の締め切りがない日はのんびり散歩をしたり、本を読んだりして仕事:生活が1:9になってしまった。反動で、10月後半の締切が重なってくる日には豊かな生活をしてる場合じゃなく9:1になってしまう。流石に極端だ。賢い人間だったらせめて6:4と4:6でスイッチして安定したスケジューリング運用をしたいものだ。会社を辞める云々を考えてたときはずっと天まで続く螺旋階段を登り続けてる感覚があって、辞めたら今度は歯車を回しているかと思うとずっと何か円環に取り憑かれてる気がして変な感じである。
 奇奇歪歪でも同じような話をしている時に玉置氏が回転というワードを出していてすごく共感した。この文章を書き終わった瞬間も、頭上で歯車が回転している音がする。


すっかり打ち合わせの定番場所になったアップルパイ屋


この景色もいつかきっと見飽きる

 LIGHTHOUSEを見てから、飽きるということはめちゃくちゃ大事なことなんじゃないかと思えてならない。生きてるうちに度々訪れるそれは気づかないうちにいきなりふと心を浸食している気がする。しかもそれは「なんとなく気分じゃない」みたいな曖昧な感覚で訪れる。それは好きだった音楽を聞かなくなることだったり、異常なペースで食べてた料理を食べなくなったり、好きだった人のことに無関心になったり、楽しかった仕事が苦痛になったり。それは時に自分はこれを飽きたんだと自覚して見限る必要がある。無駄な時間を過ごしてしまうからだ。あれだけ楽しみにしてた長い休日も半日ほど暇をしてると飽きてくる。人間は傲慢で我儘だ。人類はもっと“飽き”に寛大になった方がいい。
 人生は飽きる事との戦いなのかもしれない。


「あの夜であえたら」色んな角度からみても激ヤバエンタメだった。


情報筋

 Xのアプリをスマホから消した。フリーランスになってから、1日のサイクルの中で削れる無駄な時間を見つけてはそれをどうにか別の有意義な時間に当てられるかのトライアンドエラーを繰り返している。まず候補に上がるのが、スマホでXを見ている時間だ。次にYoutubeを見てる時間。朝起きて布団の中でまずXを開く。寝てる間に社会で起きた情報をインストールする時間。社会から置いてかれないように、タイムラインとトレンドを見る。当たり前だが、社会は寝ている間も絶え間なく動いてる。置いて行かれてしまうという謎の焦燥感が行動原理にあるのかもしれない。そこで、東海オンエアのゴタゴタやアニメーターのMAPPAへの愚痴祭りなんて見つけた時には、なんでそんなことになったのか、どういう心理でそんな発言をしてしまっているのかの文脈探しが始まってしまう。気づいたら布団の中で1時間Xを見ているなんてザラである。これは良くない。ゴシップ中毒というか、やはりどこか野次馬根性で対岸の火事をのぞきたくなる欲望がある。そんな自分に気付いては落ち込んでから1日がスタートしてしまう。やはりこれは良くない。なので、まずはアプリを消した。結局PCではXを見てしまうのだけれどこういうのはいきなり全てを禁止にして揺り戻しがあっても良くない。はず。


息抜きに昭和記念公園。人が少ない平日に行く分には最高。


自分で自分の首を絞める勇気がない

 絵を全く描けていない。仕事でイラストの依頼が来ないのでつまりは自主制作を全然できてないということなのだが。(イラストの仕事依頼は実は一件受けたものの、詳細と素材が一向に届かない上に音信不通になってしまって無駄にスケジュールを開けさせられただけになっている。連絡待ってます。)たしかに会社員時代と同じくらいの忙しさになってしまっているので、時間はないっちゃないのだが、うまく時間パズルを整理すればきっと時間はつくれるはずなのだ。Xやスレッズに無限に流れてくる天才アニメーターや天才デザイナーたちの愚痴を見てると、無理矢理にでも時間を作って感動する作品を作っていることが窺える。結局天才と呼ばれる人たちは誰よりも創作に時間を費やして、作品量を増やして泥臭く地道に技術を上げている。
 天才になれる条件は体力オバケであることだと思う。アスリートと同じで結局は練習量が結果に直結しているわけなので、どれだけ練習できるかが重要で、練習量は体力に比例していく。ここでいう体力は、身体的な持久力もそうだが、心の体力のことも指す。自分にとって今日の作業はここまででいいやと諦める時が心の体力ゲージがなくなった時だと思う。回復をしなきゃいけない。身体的な回復方法は睡眠であり、心的な回復方法も睡眠である。ごちゃごちゃ考えてどんどん上書きされていった心を一回リセットする必要がある。しかしなど体力オバケたちはこの回復率が高い、自分とは流れてる時間速度が違うんじゃないかと思う。俗にいうブラックな環境でもうまく立ち回れてしまう人とでもいうか…無理が祟ってぶっ倒れている人もいるから無理してるだけなのかもしれないが。
 結局は自分が出せる最大回転率で創作をするしかない話なのだが、どうしても自分で自分の首を絞めてでも創作をしたいという勇気がいまだに持てないだけとも思えてしまうのだ。


26歳になっても、いまだ金木犀の香りがピンときていない。