イヤイヤ信号

小さい頃からずーっと、身に着けるものに敏感です。おしゃれなわけじゃありません。体からイヤイヤ信号が出るんです。鍼灸のツボでいう丹田のあたりに信号を出す親機があって、お尻の穴の少し前と、仙骨の内側、それと胸椎のあたりにある子機が信号を増幅します。信号は体の内側をムズムズさせて、我慢すると発狂しそうになります。針の穴に糸をなかなか通せなかったり、人の名前を思い出せない時に感じるもどかしさに似ています。強迫性障害の人によくあることのようですが、こんなことをさらけ出す機会は滅多にないので、どんなときにその信号が出るのか、思い出せることを書き出してみます。

まず、襟首に縫いつけられたタグです。子供のころはあれが、プラスティックの板のように感じられました。着るだけでちくちく。体を動かすとしょりしょり。それで、イヤイヤ信号です。気になって何も手に付きません。取り除こうと鋏で切ると、その切り口がさらに鋭くなって肌に突き刺さります。あとはもう、襟首に残った横糸をほぐし取るか、縫い糸を切って根元から外すしかありません。 似たようなところでは、布の縫い代の立ち上がりもだめ。部分的に肌に当たるのが気になります。でも裏返しに着るのもアレだし、ただの布切れになっちゃうから縫い代を切り取るなんてできないし。。

重ね着や、シャツの裾をズボンに入れること、それと靴下もだめです。体を引っぱる布。そこにできる皺。その反対側にできるダボつき。そのダボつきが産みだす新たな皺の波。。そいつらを察知するともうイヤイヤ信号です。ベルトをゆるめてズボンの前チャックを全開にして、シャツの裾をすべて外に出します。先に下着の位置を正してから、背中をくねくねさせつつシャツの裾と袖先を引っぱって伸ばして、裾を慎重にズボンに納めなおし、ベルトを締めたら最後にもう一度袖を少し引っぱります。よし、倒した! …と安心したのも束の間、今度は靴下の爪先の縫い目が靴の中であばれ出し、土踏まずには皺の波が押し寄せていることに気づきます。じゃあそれを直そうと靴を脱いで前かがみになる。すると背中側のシャツの裾がズボンから引っ張り出されて、またしても背中に大きなダボつきが。。 倒しても倒してもゾンビのように押し寄せる敵。果てしなく繰り返される不毛な攻防。子供の頃は辛抱たまらず、怒りと悲しみと疲れが一緒くたになって、「デエあ"ぁ~も"うっ!!!」なんていう奇声をあげていました。

そんな皺とダボつきがつくる、前後左右、特に左右の偏りもだめです。たとえば右腕を上げて、もとに戻します。すると肩から引き上げられた襟が首の右側にしがみつきます。同時に縫い代と皺が右の脇の下に大集合してシュプレヒコールをあげ、肌に圧力を加えます。その反面、余裕ができた左側の服と体は、右側の騒動なんてお構いなしにのうのうと酒を酌み交わしてる。するとまたイヤイヤ信号です。「こんな不平等は許せん!右側ではこんなに市民が揉めている!!何とかしろ!!!」と。 服の両肩をつまみ上げて振ったり、袖や裾を引っ張ったり、肩をぐるぐる回したりしてどうにかなだめますが、やっぱり服を着ているかぎり、いつもどこかでデモが起きます。。

こんな感じですから、社会人になって着るようになったスーツはそれこそイヤイヤ信号の宝庫です。シャツの襟はブーメランのように首に食い込みます。襟の柔らかいシャツを着ても、今度はジャケットが重くのしかかって、パンツと一緒になって肩と肘、腿と膝の動きを制限します。ネクタイなんてもう、拷問のようです。どうしてもしないといけない時は結び目の大きいウィンザーノットにして、気づかれないように緩めます。 スーツは、暴れる囚人に着せる拘禁衣のようです。イヤイヤ信号がいつにも増して強く鳴り響いて、理不尽な罰を与える社会への怒りさえ沸き上がります。

こうやって書いてみると、イヤイヤ信号の原因はどれも「かたより」と「動きの妨げ」にあると分かりました。そういえば服が中途半端に濡れるのも嫌いだし、かばんなどの持ち物が偏るのも苦手ですが、それも理由は共通してるようです。書いてみて良かった。またひとつ自分のことが分かったような気がします。

イヤイヤ信号はずいぶん減ってきました。信号が出ないように少しずつ学習してきたからです。タグは柔らかいものか、タグのないものを選びます。生地が厚めで、大きめのサイズの服だとあまり皺ができません。ズボンは股上が深く、腿まわりがゆったりしていると動きやすいです。靴下は5本指。下着はボクサーブリーフ。保温性の高い下着で重ね着を減らす。シャツの裾はズボンに入れない。そして、スーツは極力着ません。

職場の上司から先週、試験出社にはビジネスカジュアルで来てほしいと連絡がありました。休職前は体力仕事が中心の部署にいたのでラフな格好をしていましたが、試験出社ではこざっぱりしたオフィスに通うことになったからです。スーツは絶対に着ないと伝えていたので、たぶん折衷案が出されたんでしょう。環境が服装を左右するのは好きではないけど、人を身なりで判断する人の多い世の中だから仕方ありません。

ひとつ、休職する少し前に社長から、もう辞めるか、と思うほど痛烈なボディーブローを食らったことが気になっています。社則を改訂して、僕が平常心を保てるよう必死に作り守ってきた抜け道をふさがれたのです。もしまたあんな攻撃にあうようなら、今度は決して中途半端な譲歩はしません。「闘争か、逃走か」。自分の身を守ります。イヤイヤ信号はずっと僕の体に埋め込まれているんだから。

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