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Quota systemを巡るバングラデシュの学生運動

15年続いてきた政権が倒れるまでの過程を知ってる範囲でまとめてみました
今回のデモのことのみ知りたい人は下まで飛ばしてね

バングラデシュの歴史を簡単に要約


1971年にパキスタンより独立しバングラデシュが誕生
当初はエルシャド将軍の軍事政権だったが民主化し以下の二大政党が国を支えた。
独立の父、シェイク・ムジブル・ラーマン(バングラデシュの建国者)が設立した政党で、後に娘のシェイク・ハシナが率いたアワミリーグ

ゼア・ラーマン元大統領によって設立された政党で、嫁のカリダ・ジアが率いたBMP

民主制とは名ばかりで二大政党の暴力による抗争が度々激化し、子供のころからホルタル(この日は抗争するから家出るな)が起きていた学校行かなくて済む嬉しいとか不謹慎なこと考えてました。

政党入れ替わりを繰り返し、長年の抗争の後、アワミリーグが勝利し長い間政権を握ることになる。

アワミリーグはインフラや経済面に対し良い働きをしたとはいえるが政治家による汚職、暴力による言論弾圧、不正選挙等が続いてた。
わかりやすい例:利権おこぼれ。橋一つ作るのに壊しては作り、また壊しては作りを繰り返し、完成までに10年以上かかる。(笑)

ちなみに私自身アワミリーグ一家(祖父が解放軍かつ政治家)だったため家族は脳死で傾倒していたが、暴力使う独裁政権をなぜそこまで支持するのかと聞くと皆気まずそうにしてました。

学生運動の発起のきっかけと結末

原因となった今回のQuota systemとは
公務員職を戦争功労者達に優先的に配るシステム
問題点↓
子供の代、ましてや孫の代まで続く
関係ない権力者にも賄賂的にいく

これらに不満を持った学生達が、デモを発起し法廃止を訴える。
平和的なデモに対し政府側は警察部隊を投入し200人以上の学生を殺害、デモに参加すらしてない幼い子供も標的になる。
デモが暴徒化し警察署が燃やされたり警察官も死人がでる。
その間首相のシェイク・ハシナは謎の号泣動画をニュースにあげる。
学生運動が過激化しついには大統領が妹を連れてインドの逃亡。
国軍が暫定政権として名乗り上げる。
という流れです。

私としては一生この国は汚職にまみれたアワミリーグから変わらないんだろう、こうやってデモが起きても弾圧されて血が流れていくだけだろうと考えていました。大好きな母国だけど国民を大切にしないこの国に未来はあるのだろうかと考えていました。今回、私より幼い学生達が国のために、未来の子供達のために自らを犠牲にし、勝利を勝ち取った輝かしい瞬間に立ち会えて感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。一人一人が意志を持てば未来は変わりますね。
これからが始まりと考え、暴力を廃止し、一丸となって国が良い方向に向かっていくことを心から願ってます。
皆も選挙にいきましょう。






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