家族のように接する。
家族は自分の持ち物だと勘違いしているから接し方がぞんざいになるのです。家族は自分の持ち物ではありません。他人の集団です。
家族は自分が育つ最低限の構成です。親子、夫婦、祖父母などから構成されていて生まれた時から当然のように存在しているのです。
子どもだけで育つことはありません。育ててくれた人がいるのです。
育ててくれた人が親です。血縁関係で無くても育ててくれた人が親です。
DNAは遺伝子ですから身体的特徴は血縁関係で引き継がれますが心は育った環境で作られるのです。生きることを教える親と死ぬことを教える親。幸せを教える親と苦痛を教える親。遺伝子では伝わらない心が伝わることで人格ができるのです。
学ぶことを教えられると心を育てることができます。
家族の形は色々あります。扶養の義務があるから扶養している家族。
扶養したからと扶養されることを強要する家族。
喧嘩が絶えない家族。心が通じ合っていない家族。家族の定義は難しいです。一緒に住んでいるから家族だと定義して良いのでしょうか?
血族関係のない夫婦の始まりはなんでしょうか?
自分が死んでも守りたい。一生安心できる生活ができる家族になりたい。
愛しているから一緒に住みたいだけでは家族にはなれないのです。
家族愛で繋がった家族で育った子どもに家族愛が引き継がれていけたならと願うしかないのです。さりとて私に家族愛を伝えてくれたのは家族では無く母子寮という高い塀で囲まれた閉鎖的な空間です。
保護と言う名の束縛状態からは安心感はありません。家族愛には安心しかないのです。
家族愛は思いやりです。思いやりは安心を与えることです。
自分を思いやれない人が他人を思いやることはないと思うのです。
家族は安心できる居場所であって欲しいのです。仕事と家族のどちらかを取れと言われたら家族を取りましょう。家族のような会社であれば家族を大切にする仕事のやり方が提示されると思うのです。
仕事ができても家族を守れなければ私は悔やむことになると思いました。
それは、仕事ができなくても家族を守る思いがなければ仕事ができなくなった時に家族を守ることができないのです。
実際に何度も転職して無職になり低賃金で暮らしてきました。今が幸せなのは家族があったからです。家族愛があったからです。定年退職後も無理のない範囲で働いているのは家族愛があるからです。
生涯現役で働き続けたいと思うのです。