迷惑行為は心の中の問題でハラスメントと同じで当人に罪の意識が無いのです。今日の写真はいつもの朝食。
注意をして何がいけないの?
怒ってはいない叱っていて、これは指導です。
好意でしたのになぜ嫌がるの?
それはその人の心の中に気づいていないからです。
心の中は見えません、触れません、聞くこともできません。
感じて、理解しようと思わなければ気づかないのです。
気づこうとすると相手にそれが伝わります。それが心の交流です。
人は忘れているのです。言葉の前に心があることを、行動の前に心があるのです。
注意をすることで自分は気づいたと伝えるのではなく、なぜ注意をしたいと思ったのかを伝えるべきです。怒っていない、叱っているそしてこれは指導だからと相手の気持ちを考えないのは手落ちです。最初に考えなければいけないのは相手の気持ちです。
好意であれば何をしても良いわけではありません。好意で行うのは当たり前のことで自分がされて嬉しくても相手が嬉しいとは限らないのです。
ハラスメントや差別は物理的な損害よりも精神的な問題であるから理解していない人が多いのです。精神的な損害を物理的な罰で補おうとするから不満足な結果になるのです。
精神的な罰は罰として受け入れて初めて罰になるのです。物理的な罰が目に見えても精神的な罰は目に見えないのです。同じように精神的な損害も見えないために人によって感じ方が変わってしまうのです。
お金には換えられないのが心の中です。損害を与えないように日頃から心がけることが損害を低く抑えることになります。
危険を承知の上で物事を行う。
悪いと思うがこうするしかなかった。
どうにでもなれ、あとは運次第。
それを
「危険を安全に、悪いを良いに、道筋を立てて通過点を進む」になるように学ぶのです。
心の中はわからない。だから知る努力をするのです。