朝8時のエッセイです。無関心
マザーテレサさんが言いました。「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」
キリスト教は愛を教えなさいと言ってますが、わたしはパブテスト教会でパソコンを教えていました。信者さんでなくても困っている人を助けたいと思っていた牧師さんのご好意で会場を提供してくれたのです。
自分が提供できることを提供する。でもパソコン教室で生計を立てている人には生徒さんが取られるのだから迷惑な話です。わたしは高齢者や福祉関係者の方を対象にしていましたから手間がかかってお金にはならない生徒さんだったので数年で撤退しました。
生徒さんのレベルが上がってくると個人的に教えないと学びにならないのです。目的が最低限のパソコン基礎でしたので不満だったと思います。
パソコンに関心があるけれど誰も教えてくれないと言う需要に応えたのですが、私はプロだったので無料で教えることができなかったのです。
誰も先生が生計を立てることができないとは思っていないのです。どこからかお手当が出ていると思っていたようで善意だけでは続けられないのです。
無関心になりがちなお金の流れ、自分のお金は無関心ではないのに他人のお金は無関心です。
なぜお金持ち?
わたしは貧乏なのに、なぜあの人はお金持ち?
お金の話をするのは汚いと教育されているので無関心を装うのです。
庶民は貧乏人、わたしも貧乏人、あなたも貧乏人、貧乏人は美しいのです。
みんなが貧乏人ならばそれで良いのでしょうか?
先進国で一番給料が安い日本。後進国だった中国が観光客としてたくさん爆買いしてくれたのです。新型コロナウイルスで観光客が居なくなった観光地のお店がたくさん潰れました。
無関心から関心を持つことによって疑問が生じてきたらしめたものです。
疑問を知るために情報を集めて事実を積み上げるのです。
貧乏人でも不幸でなければ良いのですが、不幸だと思うのならば貧乏から脱出しましょう。収入を増やして支出を減らすのです。それをするために今の収入と支出を見直しましょう。それだけであなたは不幸から脱却できます。
関心を持ちましょう。