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奇跡は愛があるからあるのです。今日の写真はゆず味噌です。
奇跡って愛がなければ無いのと同じなのです。奇跡的な出会いはよくある話です。でも自分には訪れないと思っているのは愛が無いからです。愛って無関心で無い事なんです。
無関心になった途端に奇跡は訪れなくなります。愛があれば毎秒、毎分、毎時、毎日、毎週、毎月、毎年、一生が奇跡に満ちていることに気づくでしょう。奇跡にもランクがあります。生まれたこと。今生きていることそれは大きな奇跡で死ぬことは奇跡ではありません。自然の摂理なのです。
中くらいの奇跡は生活ができていること。他人のおかげで生活ができていることです。自分一人では生きていくことはできません。無人島に流れ着き一人ぼっちで生きていかなければならなくなったときにそれまでに得た知識や経験がなければ生き抜くことはできないでしょう。
そして小さな奇跡は人との出会いです。親から始まって兄妹姉妹、友達、先生、お店のおじさんおばさん、と人間関係が奇跡の連続なのです。誰に出会って誰に愛を感じるのかそれは自分の意思で決まるものではありません。
愛とは無関心では無いことなのです。マザーテレサは、死を目前にした人に愛を感じたのです。貧乏な人、心にキズを負った人に愛を感じたから行動したのです。
自分が何に関心を持ち続けるのかで人生が決まるのだと思います。関心を持ち続けることを愛と呼ぶのなら、何を愛するのかで決まると思います。一生何も愛せず暮らしても構いませんが、好きが続くことを愛だと勘違いしているのはもったいないです。愛があれば奇跡が起こって幸せになると思っているのは間違いです。
幸せも不幸せも楽も苦労も全てを感じて、無関心にはならない事です。見て見ぬふりをする。立ち向かう勇気がないので逃げて忘れるなどしないで、立ち向かえとは言っていません。
関心を持ち続けて欲しいのです。今がいつまでも続くわけではありません。次の瞬間に進展することもあるのです。人はそれを奇跡と呼ぶのです。無関心になったならばその奇跡に気づくことはありません。
愛とは今がいつまでも続くことはないと信じることです。死を迎えるまで奇跡は続いているのです。
私は人間関係を愛しています。「産まなければ良かった」と思われ「あなたは私のもの」と思われ「憎しみの代理」として育ったことが、人間関係に関心を持つことになったのは運命だったのです。
何人もの人と縁を切り、気がつけば孤独な晩年を過ごすことにならないようにしたいものです。
この記事は2020年12月14日の記事です。ポリシーは変わっていないのです。
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