都合 夕方6時のエッセイです
今日の写真は、おにぎりとかに印のおにぎり海苔です。
都合の良い事は、そんなに都合よく現れないのです。間が良いというのか、金欠の時に欲しいものが目について諦めたら、誰かが買ってプレゼントしてくれる。
疲れて休もうと思ったら明日から特別休暇になったり、臨時ボーナスが支給されたりなんて都合の良い夢を見ています。
都合よく生まれて都合よく育って都合よく死んでいく。
よくよく考えてみたらありえないほど都合よく生きている。
あの時、怪我をしていてもおかしくない。死んでいてもおかしくない。病気になっても都合良くお医者さんがいて注射も薬も効いて治ってます。
都合よく行き過ぎている。おかしい。不思議だ。思い通りになり過ぎている。まるで自分が書いた小説が人生の台本になっている気分です。
人生は舞台。その舞台で演じている俳優が自分で常に主人公です。
台本を自分で書いて、自分が監督で俳優で観客も自分です。
自分の都合で書いた台本は良い台本でしょうか?それを演じる自分は満足でしょうか?そんな舞台を自分は見たいでしょうか?
都合を感じさせない台本を書けば舞台は意外性のあるものになるでしょう。
台本通りに演じるのは都合の良い面白みのない舞台になりそうですからアドリブが毎回面白さを出していると思うのです。稽古中にアドリブが面白いと台本を書き換えて完成させるのは邪道だと思います。
人生も同じです。行き当たりばったりの生活ではなく規則正しい品行方正な生活の中でアクシデントに立ち向かうのは楽しいことです。
アクシデントばかりで苦労して人生は都合良く行かないと嘆くのは間違っていると思うのですがこれを指摘しても受け入れてくれることは無いのです。
自分の都合の良いように捉えるのではなく、相手の都合が悪くならないように動けば自分の都合は良くなるのです。