不幸せの正体は
不幸せの正体は幸せと同じです。同じ事実であっても幸せと感じる人もいれば不幸せと感じる人がいるのです。幸せになって欲しいと何かをしても何かをしてもらった人は幸せだと思わないかもしれません。
自分が不幸せだと思うことを他人にしなければ、不幸せも幸せもありません。して欲しいと言われたことでも自分が不幸なことだと思うことはしてはいけないのです。して欲しいと頼まれたことをすることで幸せになろうが不幸せになろうが自分の責任ではありませんが、不幸せになるとわかっていたならばやるべきでは無いのです。
不幸せも幸せも願ったとしたら未来の結果です。
その時にならなければわからないのです。
自分の行動の結果を確かめないのは無責任です。
自分がやっても、やらなくても不幸になるとわかっている場合にできることは縁を切ることだけです。どうしても縁が切れないのであれば踏ん張るしか無いのです。
縁を切ってばかりいると不幸の経験(学ぶこと)がない、思いやりのない人になるのです。思いやりとは他人が不幸せだと思うことはしないことですから何もしないことも思いやりです。他人が不幸せだと思っている時にその思いから脱出する手助けをするのが思いやりの結果です。
幸せになって欲しいと手助けしても幸せになるとは限らないのです。
不幸せから脱出する手助けは手助けしてもらっていると知っただけで不幸せを感じさせなくします。
わたしは不幸せだと思っていない時は幸せだと思うのです。
わたしはnoteで活動することで幸せに包まれているのです。