臨機応変大嫌い。今日の写真はパン焼いた。
臨機応変とはその場その時の状況に応じて的確に応じる事ですが、臨機応変に対応できない人に限って他人に臨機応変に対応しなさいと言うのです。
臨機応変に対応できる人は的確な指示ができる人です。そしてその場、その状況を理解出来る人でなければいけないのです。丸投げをしておいて臨機応変の対応でお願いしますと言うのは責任まで丸投げにしているのです。
権限、権利は与えずに責任だけ負わすのが、権力者のやり口です。
ケースバイケースは、マニュアル化する事で様々な状況に応じて対応するのです。ケースバイケースでお願いしますと言っておきながら不適格なマニュアルを作って人に押し付けるのです。
臨機応変は、お願いする言葉では無く自分がする事です。
教えは教えるのでは無く、自分で学ぶ手助けをする事です。臨機応変に対応できるように学ぶのです。お経で学ぶ事も聖書で学ぶ事もコーランで学ぶ事も臨機応変に対応できるように学べば良いのに、規則、規律、定めとするから状況の変化についていけないのです。マニュアル以外の対応はしてはいけないと教えられるのです。
自由とは臨機応変に対応できる事です。状況状態を知らずに的確な対応はできないのです。出来ない事、してはいけない事をしてしまうのです。
だから、祈るのです。思いを言葉にして助けてもらえるように願うのです。
何も出来なくて「幸せになってください」と思うだけです。
食べるものが無い、寝る場所が無い、水が無い。に応える術を知りません。
一時的に助ける事ができても永久に助ける事は出来ないのです。
防災、減災、非常時対応を学んで事前に準備をするのです。基本は命を守る事です。
自分の幸せを守る、他人の幸せを奪わない。幸せは心が感じる事で自分でしか自分の幸せはわからないのです。
自分の事のように思いやる。
などと面倒で厄介で悩む事がいっぱいあるのです。
それが人生だと思うのです。