怪しい。 今日の写真は餃子とキャベツと筍の中華風炒め物
怪しいと疑わられるのは、詐欺や騙し、反社会人に成りすましなど誰が、なんで、どうしたいのかを明かさずに上手くまるこめられる恐れがあるからです。
詳しく夢物語を実現可能なように説明されると洗脳されたような、操られているような、口が上手くて説得されて納得するのは何か釈然としないのです。
怪しいと思うのは良いことばかりであるはずがないと思うからです。
怪しいと思うのはあえて伝えていない事実があると思うからです。
怪しいと思うのはそんなに薦めるのであれば秘密にして自分だけのものにすれば良いと思うからです。
自分で怪しくないという人は怪しくないです。怪しくなくて疑わしい人です。泥棒でも怪しまれないようにしているのに怪しい雰囲気を出すのは思いやりがあるとは思えないからです。怪しいと思われないように行動、態度、言動を改める人が怪しくない人になるのです。
わたしは、良いことばかりを記事にしません。
伝える必要のあるものは全て伝えますが個人情報は悪用されるのが嫌なので発信しません。個人情報は隠しています。
わたしが伝えたい事は、幸せについての考察です。
生きる目的は幸せになる事です。幸せになりたいのであれば他人の幸せを奪ってはいけません。他人に幸せを望んではいけません。幸せは自分だけがわかる事ですからわたしの幸せと他人の幸せは同じ場合もあるけど同じでない場合もあるのです。
他人と一体化したならば幸せを感じることも不幸せを感じることも同じになるのです。一体化する他人は、夫婦であったり、仲間であったり、親友であったり様々な形があるのです。
一体化する時もあれば別れる時もあるのです。一体化していないのに一体化しているが如く接してくる人は怪しいです。偶然が繰り返されるのは偶然ではなく奇跡です。
一体化は奇跡と呼んで良いのです。
怪しいは奇跡の出会いになるかも知れません。