後先のことを考える。そして理解して行動する。恋愛は後先のことを考えられなくなるから困るのです。今日の写真は紀州鉄道の線路。
人を好きになって、後先のことを考えると前に進めません。
告白してふられたらどうしよう。
受け入れてくれたらどうしよう。
どうしたら良いかわからないから困るのです。告白してもふられないようにしたいのなら自分のことを知ってもらって好きになってもらえるようになれば良いのです。自分のことを知られるとふられると思うのならばふられない魅力ある自分になれば良いのです。
後先を考えるとはふられた時のことを考える前にふられない自分を考えることです。そんなことをばかり考えていると勉強も仕事も手につかず困ったことになるのです。
では、どうすれば良いのでしょうか?
恋愛は困れば良いのです。後先を考えずに本能のままに動いて痛い目に遭えば良いのです。でも相手の幸せを奪ってはいけません。知らず知らずに相手の幸せを奪ってしまうことがあります。自分の幸せを奪われてしまうのは相手の幸せを奪ったからです。
相手の幸せと自分の幸せに気づくことが恋愛の良いところです。
相手を不幸にしたならば自分の幸せは無くなります。なぜそうなのかわかりませんがわたしの経験がそう言っています。わたしの信念がそう言っているのです。
予期せぬことで不幸になったならば仕方がなかったと諦めるしかありません。予期していた不幸に見舞われたならば悔やんでも悔やみきれないのです。予期していた不幸は避けなければなりません。
この先通行止めと書かれた標識は信じるしかないのです。それを進んで確かめて通れることもありますが、戻る確率の方が大きいのです。でも信じて通ることをやめれば確実に戻ることはないのです。
石橋を叩いて渡る必要はありません。状況を正しく把握して安全、安心、安定、安泰の道を歩めば良いのです。
子育ては大変です。子育ては誰でも最初は未経験です。悪い面をあげれば子育てはしたくなくなります。それでも子どもを育てることは無くなりません。なぜでしょうか?それは悪い面もありますが良い面もあるということです。その良い面は子育てをしなければ経験できないのです。
子育てを経験しなければ悪い面も経験しなくて済みますが良い面を経験することはないのです。良い面ばかり経験しようとしてはいけません。誰かが悪い面を補うことになるのです。その悪い面を補った人は良い面も経験したくなるのは当然のことです。
何をしても良い面と悪い面があるのです。良い面ばかり経験したいと思ってはいけないのです。幸せになりたいと思ったら不幸もセットでついてくるのです。ただ、不幸も幸せの一部だと思えば苦にはならないことを恋愛から人間は学ぶのです。