他人に言われても自分がどう受け止めるかで違ってきます。叱言、忠告、嫌味を応援、声援、煽てにしてしまう心の中。今日の写真はしらすとうなぎのミニ丼。
そんな事を言われても自分にはわからない事ってありますよね。常識とは同じ環境を長く生きた他人との約束事です。
常識破りと非常識は違うのです。常識破りは常識を知っていてそれを超える行いをすることです。非常識は常識を知らずにその行いをする事ですから悪気は無いのです。私は非常識であって常識破りの行いをしているわけではありません。
常識破りはその先にあるものが知りたくて行うことですから成功する可能性よりも失敗する可能性の方が高いのです。なぜなら失敗、成功を繰り返すことで常識となり、常識として共通認識しているからです。
同じ事をすれば同じ結果になる事を知っていて同じ事をするのが常識です。
常識破りは同じ事をすれば同じ結果になる事を知っていて同じ事をするのに違う結果を望むようなものです。
希望とは常識を知らず、常識破りをしていると勘違いするようなことです。ですから、最悪の事態になってから希望を持つことは無駄なことです。最悪の事態にならないように日々暮らす為に学ぶのです。
テストで暗記した問題と答えが出て高得点になったり、体力があって競技大会で上位の成績をあげることができるよりも自分の興味のある事案を楽しく学んで自分のものにすることが成功につながるのです。
希望とは良いことがあると信じることです。信じただけで良いことはあるのならば希望を持てば良いのです。希望とは心の中の光です。光は道を照らして歩きやすくしてくれるのです。希望を持たなければ光のない道を歩かなければならないので歩むことも見ることもしないのです。
希望が湧く学びをしましょう。希望は自分の進むべき道を照らしてくれるのです。自分が進むべき道の先に何があるのかははっきりと見えていないくて、見えているのは中間点です。 道標があったり、食事処があったり、そこは楽しい空間であって欲しいのです。
生きる道が楽しくてその中間点が楽しくて、そして目的地がさらに楽しいこともあるのです。それは希望では無く、実践です。心の中を自分で決める事ができれば良いのです。
変人、奇人、非常識と言われても自分の心の中は、普通、平常、常識であればそれで良いのです。自分から変人、奇人、非常識になることは危険で不安定で安心できないことになるのです。