人間関係は思いを「聞く」「伝える」事です。
思いは見えません。聞こえません。感じることができるだけです。そんなつもりじゃ無かったことが伝わります。
聞こえてきたことから感じたからそうしたのです。「ダメだよ」と言われてやる気を失くすのは当然のことです。やる気を失くすとは思っていなくて「ダメだよ」と言ったのです。
「いいねー、ちょっとやそっとでは、できないよ。もう少し改善の余地があるのがいいね」とやる気を削がないように話すのです。
自分の思いを言葉にして伝えるのは難しいのです。行動と態度から察してもらうのも難しいのです。なぜなら自分の思いが自分でもわかっていないからです。
自分の信念、覚悟、決断が無いのは、心が安定しているとは言えません。安定していない心が伝わると不安になるのです。わからないと伝えるのと同じです。
人は答えが欲しいのです。説得して欲しいのです。不安から脱出したいのです。不安にさせて人の心を操作しようとする人は危ない人です。
不安に感じてもすぐに安心できる言葉があります。
「人は他人の幸せを奪う事をしなければ、自分に幸せが訪れます」
他人の幸せを知ることは難しいです。将来の幸せを知ることも難しいです。
他人を幸せになって欲しいと思うことは他人の幸せを奪うよりもやさしい事です。他人の幸せを奪わない為に、他人の幸せを願えば良いのです。
願うだけです。他人を幸せにするなんて他人の幸せを奪うよりも難しいことです。他人の幸せが奪われたからと言って取り返すことはできません。
自分の幸せは、他人が幸せになって欲しいと思うだけで実現するのです。
なぜなら他人の幸せを奪わないからです。他人の幸せを奪うということは自分の幸せが奪われても仕方がないということです。自分の幸せが奪わられるというリスクは他人の幸せを奪おうが奪わなくてもあるのです。
でも幸せを奪わられるということは幸せだったのです。幸せでなければ幸せを奪わられるいうことは無いはずです。
相手の幸せを奪うことのないようにする為に相手に幸せになって下さいと思って接すると言葉も、態度も、行動もそのようになるのです。相手を幸せにするのではなく、幸せになって下さいと願うだけです。なぜなら相手の幸せは、感じることでしかわからないからです。感じるまでの間柄になるには時間がかかるのです。対応を誤ると相手の幸せを奪ってしまうかもしれません。
自分が幸せになるようにと思って接すると相手の幸せを奪ってしまうかも知れません。相手の幸せを願う気持ちがあれば必ず自分が幸せになれるとは限りませんが、最低限人間関係は悪くならないでしょう。なぜなら相手の幸せを奪ってしまうと気づいたら縁を切れば良いのです。
縁を切った人との人間関係は縁を切った人間関係となって交流は著しく減るのです。相手に縁を切られても相手の幸せを願う気持ちがあれば運命は縁を結んでくれるかも知れません。
復活した縁は強い縁とわかって人間感を良くしてくれるのです。