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ごめんなさい。偉そうに言ってごめんなさい。他人の反感を買う為に記事を書いているのではなく、自己反省の為に書いているのです。今日の写真は、おかいさん。和歌山ではおかいさんは、白粥ではなく茶粥です。梅干しでいただきました。

記事を書く目的は、自分の心を整理整頓してスッキリさせる為です。
死ぬほどの思いをたくさんしてきて、今、生きていているから言えることがあります。

「生きていて良かった」

どんなピンチになってピンチだと思えるのは意識があるのです。
死ぬ時は何も考えられません。死ぬのかなぁと思っても死んではいないのです。

「死ぬ気でやれば怖いものなどありません」

死ぬ気になる前にやれることも沢山あります。辱めにあってもそれは一時のことです。心の中にキズとなって残りますが、他人を辱めることが如何に傷つけることか理解できます。

取り返すことのできない失態を繰り返しして、反省もせずに又繰り返す。それが、死ぬまで続いて、非難中傷をものともせず、「人で無し」と言われても平気な人がいるのです。それが私です。

取り返しのつくものなどありません。失態も成功も取り返しのつかない行為の結果です。生きていれば、その結果を見ることができるのです。

なぜ生きているのでしょうか?その答えは沢山あるのです。人の数だけあるのです。

生きているだけで丸儲けではありません。

あなたが生きている意味があるのです。私にも生きている意味があります。その意味をたくさんの人が知るのです。それが心の交流です。

心には言葉がありません。文章もありません。絵もイラストも写真も心には無いのです。でも心を込めることはできるのです。それが感動です。

感動できる言葉、文章、絵画、イラスト、写真、動画には心を込めることができるのです。驚きと感動を一緒にしてはいけません。爆笑と感動を一緒にしてはいけません。他の物に置き換えできない感じるものがあるのです。

心は大きくも小さくもありません。珍しいものでもありふれたものでもありません。考えてわかるものではなく気づくものです。

回りくどいのではなく、私の表現力が無いのです。心を一文字で表すと「?」です。そしてその大きさは「♾️」です。

#エッセイ部門 #たぬきのポッさん #スキしてみて




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