集団 朝6時のエッセイです
今日の写真はポテトサラダになる前のじゃがいもです。
集団は怖い。一人より二人、二人より三人と人数が増えるほど団体になって力が強くなる。個人の意見より集団の意見が優先されて自分ではない自分になってしまうのです。
私個人であればぐうたらで自分に関係のないことには関わりたくないのです。でも団体になると指示や命令で自分と関わりが無い人とも関わっていく事になります。
ぐうたらだから何もしませんとは言えないのです。
個性が集団のルールで消されてしまうのです。平和とは個性を尊重する事です。平和を望む集団になってはいけないのです。宗教も集団になってはいけないのです。なぜなら個人が集団に消されてしまうからです。人を生かす教えは個人対個人で伝えるもので宗教という集団は力が強すぎるのです。
力が強くなると権力が生まれるのです。
個人で話を聞くと優しくて話のわかる良い人なのに集団の代理人になると話の通じない厳しい人になるのはよくある話です。
個人対集団で話をしても個人が勝つことはありません。個人が集団となって戦うことで勝利を得るのですが自分の集団は私の意見を消し去り、集団の意見にしてしまうのです。
私の意見と集団の意見は異なっています。勝利を得たのは私ではありません。集団の一部の人の一部の意見が勝利しただけです。
完全な勝利とは関わりを持たないことです。影響を受けないことです。
全ての関係を断ち切ることで勝利だと言えるのです。敵を消滅させることが完全な勝利となるのです。現実問題として敵を消滅させることなどできません。歴史からも、その存在を知る人からも消し去らないと消滅させることは出来ないのです。
敵を消滅させることができないのであれば敵を味方にするしかないのです。
敵がなければ勝負も存在しないのです。争う必要もありません。
完全勝利とは敵の存在を消滅させない限りあり得ないと知るべきです。心が残っているのは存在しているのと同じです。消滅させた人の心にはいつまでも残ります。敵を味方にすることで敵は完全に消滅するのです。
仲良くなれば敵はいないのです。集団に所属している人は味方で集団に属していない人も味方だと集団をあやふやにするのは個性を尊重しているとは思えないのです。
集団の規則で思想を統一するのは怖いことです。個人を尊重することが平和だと思うからです。同じでなくても同じでも相手の存在を認めて自分の存在も認めてもらうことが平和だと思うのです。
勝負の世界が普通で弱肉強食が世の中だと思う人に平和は訪れません。
助け合うことが普通で、共存共栄が世の中だと思う人に平和がくるのです
集団になるのは勝利を得たいからです。
これからの集団は共存共栄を目指して長く続く集団になると思います。