捨てる神あれば拾う神あり。今日の写真はウスイエンドウです。グリーンピースよりも柔くて甘いのが特徴ですが、日持ちしないので関西圏でしか流通していないようです。
人生は、「七転び八起き」で は無く「万事塞翁が馬」でも無く「捨てる神あれば拾う神あり」だと思うのです。
病気になりました。自覚症状のない病気です。本人は気づかないのです。
病気が悪化して少し症状が出てたのですが検査をしませんでした。検査をしても数値には表れなくて静かに進行していたのでしょう。
長く働く為には健康に気をつけて自己管理しなければなりません。
無料健康診断を受けることができる年齢になりましたので受けたところ異常な数値になっていて病院通いが始まったのです。前の勤め先は病院と介護施設です。健康診断を受け、ストレスチェックにも正直に疲れると答えたのですが黙殺されました。
そこを辞めて次の勤め先は簡単な仕事でしたのでゆっくりと体を休めることができました。42歳の厄年から体調がすぐれず職を転々と変えたのです。
不規則な食生活、睡眠も満足にできず、仕事をする為に生きている時は無理をしても体には何も負担になりませんでした。
生きる為に仕事をするようになって仕事の効率は悪くなりました。無理が祟ったのです。仕事が生きがいでは無くなったのです。
仕事が若い頃のように熟せなくなって病院通いした事で命拾いしたのです。子どもに苦労をさせることになって生きる事への反面教師になってしまいましたが子どもたちの自立は早いものでした。
落ち込むことがあっても、それが無ければ今の幸せは無いのです。耐え忍びましょう。それが過ぎ去った後には心が解放されるのです。生きていて良かったと思うのです。
死んでしまったら全てを終わらせることができます。残された人は頼りにしていた人、愛する人、大切な人がいなくなったことが始まるのです。
愛する人、大切な人、頼りにしていた人がいなくなったならばわたしは耐えられるだろうか?いつまでも愛する人、大切な人、頼りにしている人が健康で長生きして欲しいのです。
愛する人も大切にしたい人も頼りにしている人もいないのは寂しいことです。寂しい人生を送るのは嫌です。賑やかな人生とは愛すること、大切な人を守ること、頼り頼られる人間関係を築くことです。
捨てられることがあっても、拾ってくれる人が必ずいるのです。真面目に誠実に一生懸命生きていれば見てくれている人がいるのです。
天知る地知る我知る人知るとは悪事だけが黙っていたら誰にも知られないのでは無いのです。良事も誰にもみられていなくても神様に仏様に地獄の閻魔様も自分も知っているのです。そして悪事も良事も身から滲み出して他人に伝わるのです。
大丈夫、必ず努力は実を結ぶのです。