潮干狩りの情景を歌った《イサメガ》
宮古島の東北に位置する狩俣(かりまた)集落には、イサメガという女性を主人公にした歌があります。
※写真は今帰仁村与那嶺の海岸です。
メガというのは宮古諸島の女性の名前に使われる言葉で、イサメガや○○メガというぐあいに、かつては女性の名前の接尾辞として多用されたものです。
歌の内容を要約すると、嫁と姑の諍いです。嫁のイサメガは友だちと二人で潮干狩りに行き、籠いっぱいの魚や蛸を収穫します。獲ってきた獲物を得意満面で姑に見せるのですが、姑はイサメガの手柄を認めません。女にこれほどの獲物を獲れるはずがない、イサメガの夫(=自分の息子)が獲ったものに違いないというのです。イサメガは悔しくて、姑や舅、小姑たちの悪口を言って歌が終わります。
《イサメガ》の出典は、外間守善・新里幸昭編『南島歌謡大成 3宮古篇』(1977年、角川書店)。カタカナで表記された中舌母音の「イ」は「ぅ」、「ジ」は「ずぃ」などのようにひらがなで表記しました。
私訳は具志堅要によるものです。
イサメガ(狩俣)
んなぐずぬ いさみが かぅまたぬ みやらび
ンナグズ村のイサメガは、狩俣村の乙女は、
あがそーみゃーよ(囃子。以下略)
わたしの恋人(染まり人)よ
ゆかぅむぬ やりば えんすぃむぬ やりば
高貴な者なので、金持ちなので、
すぃとぅむてぃん ぴゃーしうき あぎさるん ぴゃーしうき
早朝に飛び起きて、明け方に飛び起きて、
みずぃ とぅりゃり やらび さし むちく あてぃなよー
水を取ってきて童よ、柄杓を持ってきてあどけない者よ、
みずゆ なう さまでぃが さしう いきゃ さまでぃが
水をどうされるのですか、柄杓をいかがなさるのですか、
てぃすみすでぃ やらび いきゃらすでぃ あてぃな
手を洗うのです童よ、腕を洗うのですあどけない者よ、
てぃすみすでゃん さまでぃが いきゃらすでゃん さまでぃが
手を洗いなさったら、腕を洗いなさったら、
ならみゃいば んきゃぎでぃ うんさぐば みゃいでぃよ
ご自分のご飯を召し上がってください、御神酒を召し上がってください、
んきゃぎわしがらやよ みゃいでぃわしがらやよ
召し上がられてから、いただいてから、
とぅなぅかずぃ まーりゃぅき さとぅぬかずぃ まーりゃぅき
隣近所を残らず回って、集落じゅうを回って、
とぅんがら やー うんむ なしゃばたや びりょうんむ
トゥンガラ(同輩)は家にいるか、幼馴染は坐っているか、
ばや や うぅ なう すでぃ みが びりょうぅ いきゃ すでぃ
わたしは家にいますよ 何をするの、メガは坐っていますよ どうするの
ぞよぞ きょーや いむりきよ ぞよぞ きゅーや ぱま ふまでぃ
さあさあ今日は海に下りよう、さあさあ今日は浜を踏もう、
いざ いんどぅ うりでぃが ずま ぱまどぅ ふまでぃが
どこの海に下りるの、どこの浜を踏むの、
うりならぅ いんだら ふんならぅ ぱまだら
下りなれている海だよ、踏みなれている浜だよ、
にすぃぬいん ぴゃらしぎ ぱなぶつぃん ぴゃらしぎ
北の海に走って行って、岩場の先まで走って行って、
ばが ぬずぃき みりばよ やら ぬずぃき みりばよ
わたしが覗いてみると、自分で覗いてみると、
すぃや ぴりょだうりばよ あさ ぴりょだうりばよ
潮は干いているところなので、大潮が干いているところなので、
すぃや ぷぃらしがつぃな あさ ぷぃらしがつぃな
潮が干くのを待ちながら、大潮が干くのを待ちながら、
すぃぶぃだぬ んなかん とぅりばまぬ んなかん
白浜の真中で、凪(なぎ)の浜の真中で、
すぃさんとぅぅざ きゅーだら ぎがさとぅぅざ なまだら
虱(しらみ)取りの今日だよ、〔虱の〕卵取りの今だよ、
すぃさん とぅぅいがつぃなよ ぎがさ とぅぅいがつぃなよ
虱を取りながら、〔虱の〕卵を取りながら、
すぃとぅまぅざ きゅーだら まいしゃぅざ なまだら
姑を貶(けな)すのは今日だよ、〔夫を〕産んだ人を貶すのは今だよ、
うわから あぅじ とぅんがら みがから ゆみ なしゃばた
あなたから言ってよ トゥンガラよ、メガから話してよ 幼馴染よ、
ばんがやーぬ すぃとぅまや やらびやーぬ まいしゃーや
私の家の姑は、子ども(夫)の家の産んだ人は、
やくぃばつぃくぃ うくぃにゃーん やくぃあだん うくぃにゃーん
焼けぼっくいの燠のようだ、焼けたアダンの燠のようだ。
うわまい あぅじぇ とぅんがら みがまい ゆみ なしゃばた
あなたも言ってよ トゥンガラよ、メガも話してよ 幼馴染よ、
ばんがやーぬ すぃとぅまや やらびやーぬ まいしゃーや
私の家の姑は、子ども〔夫〕の家の産んだ人は、
なつぃぬ ぱいかじだき んかいうすぃ かじだき
夏の南風(台風)のようだ、向かい風のようだ。
あんちょぅきゃーや いらまん すぃや ぷぃりょーどぅうりば
そんなことを言ってる間にとうとう、潮が干いたので、
あんちょぅきゃーや どぅくぃまん あさ ぷぃりょーいうりば
そんなことを言ってる間に本当に、大潮が干いたので、
にすぃぬ あなつぃぶんな みょーとぅぅずぬ うすぃみんでんよ
北の穴壺には、夫婦の魚が泳いでいた。
あがぅぬ あなずぶんな みよとぅだくぬ ぶぃだみょんでんよ
東の穴壺には、夫婦蛸が坐っていた。
ばが てぅぬ ゆびてつぃ いすぃてぅぬ ゆびてつぃ
わたしの竹籠がいっぱいになり、磯籠がいっぱいになった。
あてぃぬ ぷぉからしゃん どぅくぃぬ いさうさん
あまりの誇らしさに、とてもの手柄に、
すぃとまんまん みしりば まいしゃんまん みしりば
姑に見せると、産んだ人に見せると、
すぃとまんまぬ あぅそや まいしゃんまぬ よんすや
姑が言うには、産んだ人が話すには、
みどぅん とぅぅ ぅぞー あらん ぶなりゃ とぅぅ たくー あらん
女の獲れる魚ではない、妻の獲れる蛸ではない、
うわが ぶどぅぬ とぅぅ ぅず ゆばぅすぃみゃぬ とぅぅ たく
お前の夫が獲った魚だろう、〔通い婚の〕夜這いする男が獲った蛸だろう。
すぃとまんまぬ あぅざり まいしゃんまん ゆしらり
姑の言うことに、産んだ人の戒めに、
あてぃぬ かまらしゃん どぅくぃぬ いさうさん
あまりにも悔しくて、とてもの手柄に、
すぃとまんまや やうやう うやすぃとぅぬどぅ あてぃ やなかぅよ
姑はまだ良い方だ。舅はもっとたちが悪いのだ。
まいしゃんまや どぅくぃどぅくぃ あにがまどぅ どぅくぃ やなかんよー
産んだ人もどうしようもないが、小姑たちはさらに悪いのだ。
国吉源治さんの1970年代の音源がありますので、コピペしておきます。
もともとは三線の入らない、手拍子だけで歌う素朴な歌でした。