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大島渚マラソン♯02「青春残酷物語」(1960)~怒りと欲望で社会革命?【ネタバレ注意】

無理無理!共感度ゼロの主人公

極私的な話題で申し訳ないのですが、私の名前「祐介」の由来を母親に聞いてみたところ「誕生当時、川津祐介がカッコ良かったから」と、かなり軽薄な命名由来が明らかになりショックを受けた覚えがあります。名前を頂戴し他人とは思えないそんな川津祐介が、この映画の主人公、大学生の清なんですが、とてもあやかりたくないヒドい男でした。家庭教師先の母親と寝て小遣いをせびる、なんでも暴力に訴える、女の子を殴って手に入れる、彼女が妊娠すれば堕胎をせまる、など欲望の赴くまま、まさに触るものみな傷つけます。

そしてヒロインの真琴(桑野みゆき)も、中年男性の自動車に声を掛けてはアシに使ってスリルを楽しむ反抗期の女子高生。案の定強引にホテルに連れ込まれそうなところを、偶然通りかかった清がスケベ親父をボコボコに。親父が財布から札を投げつけて逃げていったことから、二人は美人局(つつもたせ)で金をユスることを思いつき、同棲生活を送るようになります。

木場の揺れる丸太の上で、清は関係を拒まれた真琴をビンタして海に突き落とし、引き揚げてぐったりした彼女と半ば強引に激しいラブシーン。なんだこれは、DVに支配された共依存の馬鹿ップルなのか。出だしからこんな二人の行く末などどうにでもなってしまえと共感度ゼロなんですが、作品全体からほとばしるギラギラした迫力になぜか目が離せないのです。

怒れ!怒れ!怒れ!の季節

前作の「愛と希望の街」は明るく楽しい松竹製ホームドラマに見せかけながら人間のどうしようもない断絶を描く問題作でしたが、2作目となる今回もまた、「清く美しい青春」なんてクソくらえ!とばかりに性と暴力をギラギラに押し出した挑発的作品となっています。

1960年と言えば日米安保条約が締結、民衆を無視した政府のやり方に怒った若者たちが国会を取り囲んだりしていたころで、この映画でも街の風景としてデモ行進が映し出されています。大人たちの勝手な決め事に抑圧される社会と、それに反抗する怒れる若者たち

当時としては異例の若さで監督に抜擢された大島渚、このときはまだ27、28歳。溢れ出る自らの欲望と、社会への不満と怒りを抱えたひとりの若者として、大人(権力)へのイラつきがスクリーンにほとばしってます。「俺の純粋な欲望を邪魔する奴はすべて悪」とする青春の描き方はアメリカンニューシネマによくみられますが、ここでの大島渚も大人しい観客に「おまえらそれでいいのか、もっと怒れ!」と挑発しているようです。

性と暴力の自由奔放な描き方や、街頭ロケによる即興的な背景の取り入れ方などの斬新な手法が、同時期フランスでのゴダールやトリュフォーの手法にちなんで「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれたのは有名な話(篠田正浩、吉田喜重と共に)。今日では当たり前の手法なんですけど、川又昴キャメラマンのアップの多用や雑踏を取り入れたノイズィな画面は、今見ても独特な生々しさでドキドキさせてくれます

欲望を貫くことで社会と闘う

欲望のままに突っ走る清と真琴とは正反対に、真琴の姉の由紀(久我美子)と医師の秋本(渡辺文雄)は、かつて学生運動の同志として「指一本触れない」ストイックな恋愛の果てに、「紙芝居と医療カバン」で世の中の壁を壊せなかった敗北感で破局。由紀は、真琴の「体全体に社会にぶつかっている」姿に感化されて「青春を取り戻す」ために秋本の診療所を訪れたのですが、秋本が闇バイトで真琴の堕胎手術をしていたことを知りショックを受けます。

蔑む由紀の視線に「仕方ねえじゃねえか」と開き直る秋本の姿が胸に刺さりますが、これは1950年代に京都大学で京都府学連委員長まで務めて社会と闘っていた大島渚監督自身の、学生運動で社会を変えられなかった敗北感の反映なのでしょう。秋本は、清と真琴の自由奔放な行動を「欲望を貫くことで社会と闘っている」と評価はしますが、その欲望の果ての堕胎のような行為によって「回路を歪め、結びつきを壊していく」と悲観的な言葉を吐き捨てます。

「俺たちは最初から夢なんか見ちゃいない、アンタたちみたいには壊れない」と、清は麻酔で眠った真琴を見守りながら反論。そして林檎を取り出してかじりはじめます。暗い病室の中、林檎をかじる清の顔のアップとかじる音だけが響く、ひじょうに印象的な長いカット。ここで清は禁断の実を食べて、「無邪気で無知な本能的な動物」から「真琴への愛に目覚めた人間」になったのかもしれません。

しか-し時すでに遅し!人間として、これまでの無知に対する償いはしなくてなりません。

道具や売り物としての怒りと悲しみ

愛に目覚めた清は真琴に、もう美人局はさせず「女が道具や売り物みたいにされる」ことから守ると約束します。が、過去のユスリが告訴されたことで二人とも警察に逮捕。すぐに釈放されますが、それは前に金づるとして付き合っていた家庭教師先の母親(氏家慎子)の金と権力のおかげと知り、清はショックを受けます。

「どうする?」「どうしよう」「何する?」「何しよう」

人間は道具や売り物として自分を売って生きていくしかないんだ」結局は金と権力に支配され、怒りだけをぶつけてみても何も変わらない社会に敗北感を抱え、清は真琴に別れを切り出します。夕暮れの渋谷を行きかう人々をバックに延々と歩く二人をとらえた、美しく素晴らしいカット。そして、結局離れ離れになった二人に待ち受けるあまりにも残酷な運命‥‥

欲望を駆り立てながらもままならない理不尽な社会ではありますが、本能のままに怒りをぶつけて砕け散るか、自分を道具として切り売りして大人しく生きていくのか、若さゆえのもどかしさを描いた荒々しい傑作でした。

しかし大島監督、自身も20代という青春と言ってもいい時代に、社会と若者の対立を主観的すぎない俯瞰的な視点で構成し、しっかり娯楽作としてみせてしまう天才ぶりに驚きました。これからも楽しみです。

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