自分のためにやっている
JAPAN HEART 吉岡先生のお話を受けて、自分自身のことを少し振り返ってみたい。吉岡先生は発展途上国で無償の医療活動を行っている小児外科が専門の医師。JAPAN HEARTはNPO法人。日本の国際医療ボランティア団体。
十分な医療が受けられない貧困層に無償で医療活動を行っている吉岡先生が、よくおっしゃる言葉「自分のためにやっている」について考察。NPOとか、ボランティアとか、お医者様と聞くと、「誰かのために自分の人生をささげている素晴らしい人」という先入観が早速生まれる。限りある人生の時間と体力を、困っている人のために削っている。無意識にそう思ってしまうのは何故だろう。おそらく、日本の道徳教育の中で、例えば宮沢賢治の「雨ニモマケズ」とか、学校にあった二宮金次郎の像とか、勤勉で人の役に立つ人間が素晴らしいという一種の刷り込みがそうさせるのかもしれない。
しかし、先生が一貫しておっしゃっているのは「自分のため」ということ。医師になるために勉強したのも、医師になることを選択したのも、発展途上国にきたことも、ボランティアをしていることも、全て自分自身が選択したことであって、たまたま得意だったし、興味があったことで、自分がやりたくてやっている。ほう、確かに。
まず医師免許を取るというところで、だれでも簡単にできる事ではないので、想像が遠のく。ある程度勉強が得意、もしくは好きでテストの点数がとれないと医学部には入れない。そもそも勉強が好き、得意という時点で理解が追いつかない人が多いのではと思う。私は得意ではないけど好きなので半分は理解ができる。
そしてお金がかかる。研修医の期間も入れれば医師として働くまでの間にかかる時間とお金は相当。誰でもなりたければなれるってことでもないとなると、それだけで凄い人ってなるし、医者になるという決断を高校生の早い段階ですること自体、自分自身とかけ離れていて、エリート=選ばれし人の構図は簡単に出来上がる。それで医者になって大金を得るなら百歩譲って理解できても、無償で医療行為?のなぜ。医者最強!ってなるのって、収入が良いからでしょ?
そういえば西野亮廣さんも「お金に興味がない」って言ってたけど、志の高い人って結局そうで、自分の私利私欲のためのお金って必要なくて、自分自身がやりたいこととか目標達成のためにだけお金を使う。先生も多分そういう考えで、発展途上国のエイズで両親を亡くした孤児たちのための宿舎を作っていて、彼彼女たちの笑顔を見ることが幸せで、おいしそうにご飯を食べている姿がただ見たいだけ。それは結果彼彼女たちのためになっているけど、自分自身がその笑顔や姿を見たいからやっているんだと。
程度は違えど、「自分のため」というキーワードにはめちゃくちゃ反応できる。今までの人生、私も「自分のため」かどうかを基準に選択してきた。まずは高校受験。比較的出来の良い兄が二人いて、私も同じ塾に通って、同じように進学校を受験するルートだった。でも私は兄達よりテストの点が取れず、塾ではほぼ最下位。勉強好きだったけど、テストは苦手。特に暗記ものの社会や理屈っぽい国語が苦手で、歴史なんて不確かだし、この文章の読解力って自分が感じたことが正解でしょ?って思ってた。私が一番理屈っぽいことは言うまでもない。で、兄達とは違う高校を選んで、だれにも相談せずに進路希望を提出。三者面談で親ともめた。私が選択したのは市内でも有数のお金持ち高校で、あまりお勉強のレベルもよくない私立高。そこを選んだ理由は「制服が上品」「チアリーダー部がある」の2点。私はその高校で、サッカー応援がしたかった。平成がはじまったばかり、Jリーグがはじまったばかりのあの時代。田舎の高校でチアリーダー部なんてそこにしかなくて、選択肢はそれしかなかった。バブルがはじけてデザイン会社自営の我が家は大変だっただろう。あの頃はそれに気づかなかった。ごめんよ父さん。
で、特待生でその高校に入学して、授業料は免除されたけど、チアリーダー部に入部したことで、かかるお金は変わらなかった。ごめんよ父さん。もともとお勉強のレベルは低い高校だから成績も常に上位。大学付属高校で、成績順に学部が選択できた。チアリーダー部で部長を務め、サッカー部の彼氏と付き合い、生徒会副会長を名ばかりでやって、充実した高校生活。さて、どの学部にしましょうかってなった時、先生からは地元の県立大学の推薦の話をいただいたけど、実家から徒歩5分の大学に1mmも興味がわかずに早々に辞退。ごめんよ父さん。で、理系が得意だったけど、部活をやっているとダメというわけのわからない理由で文系クラスだったから、大学も文系から選択しなければならず、中でも理系で比較的偏差値の高い「社会福祉学部」を選択。でも、ずっと違和感があった。介護とか?福祉とか?人のために勉強するの?そもそも誰かのためとかってタイプじゃないし、ごみ拾いとか挨拶運動とか、生徒会の活動も嫌いじゃないけど、偽善っぽいのは嫌。で、結局最終決定の時「体育学部」に変更!うーん、よくわからないけど、こっちの方が楽しそうだし私らしい!って思ったから。器械体操、バレー、サッカー、チアとやってきた私は運動が得意だし、「社会体育学科」のレジャーレクリエーションってコースがあるらしい。めっちゃいいじゃん!ってときめいた。成績の低いスポーツ大好き男子たちの枠を人る奪ってしまったから、ブーブーいわれたけど、いやいや関係ないでしょ。
で、無事に体育学部に入学。教員免許を取りつつ、レジャーレクリエーションの勉強に夢中になった。ミヒャエルエンデの「モモ」でレポートを書くって宿題とか、レジャーの勉強でハワイにいってマリーンスポーツ実習とか、社会体育学科のみんなでスキー合宿を企画、どう遊べば楽しいかとか、最高に楽しい大学生活。好きな勉強をいっぱいして、教授に気に入られ、留学のお話をいただいた。アメリカの大学で国立公園の管理者の資格を取るってお話。素敵!!私は大学卒業後、その留学の道へ進む気満々でしたが、ついに母が激怒!いい加減にしてくれと言われた。そんなお金は家にはないと。教員免許を取ったものの、教師になる気はなく、「遊び」の研究に夢中な私を理解してもらいず、結局なくなく就職。就職先はなんとなく友達と受けて内定をいただいたスポーツクラブだった。しかも適正チェックでフロント(営業事務)になってしまい、地獄。でも社会にでるってこういうことだよねって覚悟を決めて、社会人生活がスタートした。
で、やっぱりうまくいかず、悶々とした日々。その時は好きなことばっかりやってきたんだから、こうなったのはしょうがないって思っていたけど、さすがにメンタルが崩壊してうつ病発症。半年で会社を辞めることになる。大学を卒業してから20代の間は、なかなかつらい時期だったけど、それをギリギリ支えてくれたのはチアリーダーとしてボランティア活動をさせていただいていたこと。途中教員免許を生かして学校の先生をやったりもしたけど、チアリーダーをやっている私が一番私らしかったし、それが生きがいだった。うつ病もなかなか治らずに自殺を図ったこともあったけど、いつも救ってくれたのはチアリーダーの活動であり、仲間であり、恩師だった。
そして、今、私はそのチアリーダーたちのお世話をしている。子供たちにダンスやチアを教えることを生業とし、自分自身もチアリーダーとして大会にでて、プロスポーツの現場のチアリーダーたちの指導をしている。40歳を迎えてからは、一生できる仕事じゃないし、収入も少ないし、このままではいかんと思って勉強してきたけど、この仕事を何でやってるかって「自分のため」だし、日々めちゃくちゃ幸せで楽しいからだ。心のどこかで、それじゃダメだって思ってたけど、なんでダメかいくらたっても説明ができない。ちょっと生活費が足りなくて借金してしまっていることと、子供や旦那さんや旦那さんのご両親やお姉さんに負担をかけていること以外は、(結構あるな…)なんも問題ないんだって気付いてしまった。
「自分のため」に選択してきた結果、今の私の生活があって、日々私は幸せだ。誰かのためにとか世の中のためにとか、それは自分のために夢中でやった結果、そうなったってだけで、結局自分が夢中になれるもの熱狂できるものでなければ続かないし、楽しくないんだって、吉岡先生のお話を聞いて改めて自己肯定ができた。収入の少ないダンスの先生の仕事は、不安定でちゃんとした大人ではないかもしれないけど(まわりからよく言われるやつ)、私は今最高に幸せだ。このチアリーダーの文化をあらゆる層に広めていくことが今の目標。だって私が一生やっていきたいから💛例えば、けがをして車いすになっても、おばあちゃんになって足が上がらなくなっても、目が見えなくなっても、ジェンダーが変わっても…
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