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限界ジャニヲタの末路

日常生活においては、ジャニヲタだったという事実は隠して生きてきます


理由はただ1つ、生きていくのが不自由と感じるから


そのため、現在交友関係のある人達の半分くらい(ヲタクをやめてから出会った人達)は

私がゴリゴリの激痛ジャニヲタだったという事実は知らないでしょう…


最初に申し上げますが、本日の記事は決してヲタクに関して前向きではないかもしれない内容になると思われます


私的に客観的に”ヲタクとは”という点まで書いていければなと思っておりますので

用語も逐一解説入れていきますので

ご興味ある方はぜひご覧ください


ジャニヲタの道を進んだきっかけ

きっかけはキスブサ(キスマイ)

きっかけはもちろん、不登校から始まりました

今でも鮮明に覚えています…

当時、中学1年生の頃、相変わらず鬱々とした気分で1日中布団の中に包まって

当時のお友達は、インターネット(今も大親友なのに変わりありませんが笑)

親のおさがりのPCを四六時中触ってました

当時流行っていたアメピグをしたり、YouTubeを観たり
※その頃から本格的にブログというものを始めた、記事を書くようになりましたね

とにかく現実逃避したくて、どうにか今生きている時間を何か楽しいことで紛らわせないかなと思っていました


そんなある日、キスマイブサイクをYouTube上で観ることができて
(その頃は関東地区のみだったので、地方のTVでは観ることはできなかったもの)

東京の番組ってこんなに面白いものがあるんだな~と同時にその頃くらいから東京への憧れも徐々に抱き始めた時だったのかもしれません


そこで前方3人に恋をしてしまうんですよね

私が観ていた時は…(世代モロ分かりだな汗)

恋愛のシチュエーションのデモンストレーションをするような企画の番組だったので

思春期真っ只中の私の心を射抜きましたね


ココで小話ですが

キスマイブサイク(略:キスブサ)は、演技ではあるものの本人が考えたシチュエーションを本人が再現するというものなので

タレント側からすれば、気力もいるだろうし、かなり根気のいる、恥ずかしい企画だったと思います

ただ、その回のテーマによって個性が出てきてランキングが変わってくるのが面白くて

しかも、素性が知れる=若干親近感すら抱いてしまう

という事態に陥りかねないのです

そこが私をハマらせた理由ですね


そこからは、止まらない止まらない

あらゆる媒体で調べまくって、時間が進むにつれ立派な茶の間ジャニヲタが出来上がります
☑茶の間ジャニヲタ=ヲタクというかファンに近いレベル、まだ貢物はしない

さらにジャニヲタへと続く道へ誘導してくれた存在

まだ、初手です

正直ここまで私も自分のジャニヲタ歴史と向き合った機会がなかった、むしろ考えること思い出すことを避けてきたので

すごくいいきっかけをくれたなと思っています

話は戻りまして、

で、また、そんなある日その日もキスマイを観漁ってました
※当時は今ほどネット社会が充実していなかったので、とにかく情報が少なく、財力もない学生は同じ動画を繰り返し観るくらいしかできなかったのです

※逆にまだジャニーズはウハウハでしたよ、無料のネット媒体がなかったし
皆さん記憶にあるかわかりませんが、ネット記事など映り込みしていたらジャニーズタレントは写ることが禁止されていた時代です
映画の囲み取材の写真などジャニーズタレントだけ省かれていたのは、当たり前のことでしたよね
それもいつしか時代の流れと共に解禁され、かつ個々のSNSも持つことができるようになったのだから…

※ちなみに一昔前のヲタクはファンクラブか有料のブログサイトなどに登録して担当の楽屋の写真などといった、ややプライベートな情報を垣間見ることができていたのです
☑担当=推し、ファンであるタレントのことを指す


で、またまたYouTubeなのですが

今度は、デビューしたてのジャニーズWESTに出会います

私が拝見した年のお正月にカウントダウンで恐らくデビューすると放送されたみたいだったのですが

カウントダウン視聴当時は存在を知らなかったので記憶になく…

その後半年くらい経って、キスマイ繋がりで少クラを観漁ってた時に出会いました
☑少クラ=ザ・少年倶楽部(NHKBSテレビ番組)

その中のコーナーにジャニストが単独で日本昔話をおもしろおかしくコント風で演じる的な企画があり、それの桃太郎がツボ過ぎてハマりました
☑ジャニスト=ジャニーズWEST

当時、正真正銘の不登校引きこもりでしたから、毎日親から怒鳴られて、笑うことすら忘れていました

そんな私が久々に画面向かって笑えて

それが嬉しくて、ファンになりました


で、それがキスマイの時とは違う感情が芽生えてきて

『会ってみたい』という感情が出てきたのです


人生初めてのLIVE

正直、今ここまで読んでくださっている方でしたら

当然初めての現場はジャニストでしょ?とお思いでしょうが、ノンノンノン笑
☑現場=コンサートLIVE・舞台など担当に会えるところを指す

まさかの裏切り

NEWSなんですね~笑


これはたまたまの縁でして、当時高校で仲が良かった子が

私以上にジャニヲタでいろいろ初手のノウハウを教えてくれたのです

そこから、陰キャよりのジャニヲタのグループに入り同志達と共にジャニヲタライフが本格的に始まるのです

ただ、なぜか途中でいじめの対象になってあっけなく高校中退するのはまた別の機会に…


話が少し逸れましたが、その子がチケが余ってるから来て欲しいと

空席作りたくないということで、とりあえず行ってみることにしました
☑チケ=チケット
☑空席作りたくない=担当のために満席にしてあげたい意

なぜか、人生初のLIVEということでLIVE代は母が出してくれました、ラッキー!


で、行ったはいいんですけど、初めてTVの中の人を生で観たこともあり

衝撃すぎて、恋には落ちなかったといえど、頭から離れず、ずっと放心状態
あの大きな会場の音と熱狂的な歓声、そして”今”を感じられる抑揚感

ちっぽけな私を思いっきり押しつぶすかのような感情たちに、1週間吞まれ

なぜか、気持ちが悪かったのを覚えています


かっこいい、とかいう反応よりも驚き、存在しているという、動いているという衝撃の事実

初めての芸能人ではなかったにしろ、とにかく衝撃的だったのです

あの気持ち、終わった後の状態はもう経験できない初めてだからこそ味わった違和感だったんだな、貴重だったなと今でも感じます

※ちなみに、その時のLIVEは4人時代のNEWSでした

予習するということ自体知らなかったので、本当にただただ行っただけのやつでしたが、今では本当に楽しい思い出でした、スタトロ近かったし
☑スタトロ=スタンドを行き交う乗り物のことを指す


当時本命のあの人達に会う!

そして、初の現場を終え、間もなくすぐに本命(ジャニスト)のLIVEへ行きました

本当にあの時無知だったなと、今でも思っていたのですが

まさかの神席引き当ててたんですね
☑神席=あり得ないくらい良い席


まず、今じゃ考えられない行動
その①
事前に座席がどこか確認していなかった
(普通確認してたら、ファンサ団扇用意したり、もう少しオシャレしたりできたはず)
☑ファンサ団扇=俗に言う、文字が書いている手作り団扇のことを指す

その②
お立ち台の位置を把握しておらず、目の前にタレントが来た瞬間テンパる
(どこにお立ち台くるか、何個設置されるとか普通確認しとくやろ)
☑お立ち台=小さいステージのようなもの、ホール規模だと通路に、アリーナ規模だとアリーナ席内に設置されがち、箱が変わっても事前に入場時にバミリで位置把握できる
☑箱=会場・会場の建物のこと

その③
レポを全く読んでいかなかった
(レポ読んでたら、お立ち台の位置確認もでき、担当の前とかに交換とかも出せたはず、しかも関ジュが来ることも把握できて団扇用意もできた)
☑レポ=ライブの様子などの記事
☑交換=チケットを交換すること(日付違いでも階数違いでも、基本双方が了承すれば実施可能、ただし公式的にはタブー)
☑関ジュ=関西ジャニーズジュニア
※関ジュは特に編成が変わりがちなのです
なので、その当時ツアー時のメンバーは今でいう
なにわ男子 西畑・大橋・藤原
Snow Man 向井
Aぇ!group 末澤・正門・リチャ
俳優 室・今江
その他、大西・道枝・長尾・高橋・佐野・小島あたりは入所したて、もしくは未成年、選抜からはずれ大阪公演のみの出演だったり…そんなところですかね


今更、こんなこというのもアレですが

高校の時のジャニヲタグループの子達は、雑誌やTV、グッズ関連には詳しい子はたくさんいましたが

現場の経験が明らかに少ない子の集まりでした、そのため、現場関係の知識だけはインプットされず大やらかしをしてしまったということですね笑

地方×田舎という特性もあり、都会に出るという習性がない地域だったので、そういう子がいないのも珍しくなかったのかもしれませんね笑


こんなにブーすか、後悔を垂れ流していますが、その公演自体に満足はしています

おかげで、距離も激近で、ほぼ全員とハイタッチできたし、この上ない満足感で、初めての1人現場に幸福感しかありませんでした

ただ、この時はまだ自分が現場専属のジャニヲタになるなんて、知る由もなかったのでした


自殺を救ってくれたあの人

まず誰か知りたいですよね、

Hey!Say!JUMPの有岡大貴さんです


意外ですよね~笑

また小話ですが、いろんなGの担当を観てみるとかなりその人の好きなタイプというか自然と男性の好みも分かってしまう的な?笑
☑G・他G=グループ・他のグループ(担当が所属していない他のグループを指す時などにも使われる)

王道系を選ぶ人、ミーハーとか、顔ファンもいれば、箱推しもいたり、事務所担などと様々です
☑顔ファン=顔の好みだけでファンになる人
☑箱推し=そのグループが好きな人
☑事務所担=ジャニーズ事務所のタレント全員を広く推してる人(DDではない)
☑DD=”だれでもだいすき”の略

ジャニヲタがいる数、推し方も人それぞれだと思っています


で、話を戻しますと…

何年でしょう、恐らく高校1年生のクリスマスシーズンに放送されていた

リトルトーキョーライブをジャニスト目的で観ていた時に

ディズニーシーでミニライブみたいなのが放送される回でして

何気な~く観ていたわけですよ


そしたら、何を思ったかある1コマの彼のスマイルにまたもや落とされまして…笑

完全に一目惚れのような形になりまして


それからというものの、夢中でヒルナンデスを観て、過去の映像を観まくりという生活をしていました


幻想世界ではかなりうまく楽しめていたのですが、現実世界はそうもいかず
いじめが悪化し

ある日、危ないと分かっていながら、家の2階の窓枠に腰かけて
『もう、終わりたい、死にたい』と思いながら夜空を見つめていた時に
(そのくらいじゃ死にません)

母が「死ぬくらいなら、有岡さんと結婚してから考えれば?」と言われました


正直、大人になって、ねぇ~?冷静に考えれば…うぅん…

その時の私は「そうね!」と馬鹿みたいに前向きになり

いじめという現実にずっと悩まされていたものの、全く関係のない世界へと足を踏み入れ始めるのでした


え、長い?

長いですよね?

でも、さすがに1本で書ききった方がいいのかな~と思うので

休憩しながら読んでいただけると嬉しいです笑

ちなみに現在書き始めて2時間経過…

まだまだ続きます



人生が大きく変わり始める

福岡に上京

母にあのように助言されてからの行動はまぁ、早く

いろいろあって

簡単には説明できないくらいいろいろあって
(なので今回は割愛)

福岡に上京しました


バイト先で出会った、亀梨くん担当の主婦

学校で出会った、山田担の女の子

他にも様々なジャニヲタさんと繋がり、ヲタ活を共にし、ジャニヲタライフを楽しんでおりました

今まで見てきた世界から飛びだして、初めてばかりの体験で、人との出会いが楽しくて

人生薔薇色期間でしたね

ただし、まだまだ楽しい充実した日々は止まりません

なんなら加速していく一方

今までの鬱々とした生活の反動かのように…


人生史上1番愛した人

私は、正直有岡大貴に勝る人間は私の中には存在していない

そう信じていました

引き延ばすのは苦手なのでポンッと誰かを言いますと

西畑大吾さん

です


今は、なにわ男子のセンターとしてメンバーと切磋琢磨しているみたいですね笑


なぜか、”1番”と言っておきながらきっかけが曖昧なのですが

ジャニストのLIVEの時にはもう存在は知ってて、まいジャニも毎週欠かさず観ていました
☑まいどジャーニ~(関テレ地方番組)


なので、そーですね、どちらかというと…
~ややヲタクっぽくなります~(飛ばしてください)
焼け野原の前の時代、平野永瀬が引き抜かれる前、金内がいなくなる前のなにきんが好きだった的な…なにきん魂も行きたかったし、ただタイミングが悪く生でなにきんを拝むことは出来なかったが…あの時の文ちゃんも輝いてたよね…
恐らく、ジャニストを知ったタイミングでなにきんの存在も知ったのだと
その流れで自然と知ったのでしょうね、あと地元のジャニヲタグループの中に根強い関西ヲタがいたので、その影響もあったんでしょうね…

△あえて解説はいれません(たぶん誰も興味ない笑)


失礼しました


ですので、本命が有岡さん、サブが西畑さんて感じでやってたのに

いつの間にか、というか気づいたら本命が変わってた⁉

という事態になったのでしょう…


決して全て忘れたわけではなく、ちゃんとしたきっかけも一応あるんですよ

初めての京セラで長年ネッ友だった子と会い、その子との出会いが私のジャニヲタライフを大きく変えました

Twitter上で知り合い、恐らくかなり仲が良かった様子、実際よくグッズの送り合いだとか、DVDをダビングして送るなど協力し合う仲でした

彼女は、正真正銘の私の戦友です


で、その子の友達がたまたまクリパ松竹のチケを3枚持っていて
☑クリパ松竹=12月約1カ月間関西ジュニアが大阪松竹座で公演をする

一緒に行こうよ!ということでした


その時、友人の友人は推しの子はいない

戦友もその時はまだ関ジュ担ではない

私だけが関ジュ担という不思議なトリオでして


松竹の仕組みも知らないままアワアワと座席についたら、あらビックリ

前から1〇列目、しかも通路側から3席という

またこれも良席…いや神席と言ってもいいだろう
※当時の松竹の倍率はあり得ないほど高く、ジャニストデビュー後も衰えることはなく
メンバーが近い、ファンサがもらえるext.
ジャニーズのLIVEというよりかは、今でいう地下アイドルのような距離の近さでした
かつ、TVの出演もまいジャニくらいでラジオもとれ関のみ
かーなーり、お目にかかれないレアモノとなっておりましたので、転売ヤーもよくおりまして、いろんな事情が重なりまくって倍率鬼ヤバだったのです

そんな中、彼女は3枚も所持しており、かつ1階真ん中の通路側の席、しかも初日
※初日、千秋楽、メンバーの誕生日などはあり得ないくらい価値が高くなります

そんなの大当たりですよ

当時の相場で10出してギリ買えるくらいではないでしょうか?
☑10=10万


初日かつ初の松竹だから右も左も分からずでした

公演も終盤に差し掛かるところで、通路側を何かが駆け抜けて行きました

そう、それが西畑さんだったのです笑

変態ですけど、あの香水の香りは一生もんですね笑


『あんな近くに⁉』と思ったのが松竹という箱に恋をした瞬間

その後の、ギターを弾く姿に圧倒されまんまと撃ち落されたのが、西畑さん自身に恋に落ちた瞬間


あの日を境に完全なるジャニヲタ、現場ヲタを仲間入りを果たしたわけです


全国飛び回るジャニヲタへと進化

盲目とはこういうこと、というのを体現していたかのように

狂ったようにバイトをし、現場があればどこへだって駆けつけ


戦友も徐々に育ってきまして、立派な関ジュ担となり

彼女は今も昔も関西なので

基本現場は彼女と、日付が違えば、時間作ってヲタ活したり

あの2年間は本当に一生の宝物でかけがえのない時間だったなと感じます

恐らく、その経験から人生観が変わり、人との接し方が変わり、生きていくためのずる賢さみたいなのも備わったのかもしれませんね

破天荒すぎましたね

現場のためなら、なんでもする人でしたから

自分を犠牲にしてでも会いに行くのが私のモットーになっていました笑


バイトの休憩中も、夜ご飯作ってる時も、勉強している合間も常にTwitterのチケットの動きをチェックして

狂ったように張り付いてました


使えるお金にも制限があったからか、血眼になって情報を日々探してましたね


今では考えられないのですが、当時は月1で家を空けていたので

家族は「今日はどこ飛ぶの~?」が当たり前になってるっていう笑

深夜日付超えてからチケット見つかって、当日の始発で大阪行って、夜帰ってきて次の日オープンのバイトみたいなこともありましたし

夜行バスで、朝方6時とかに博多到着して7時からバイトとか笑

逆に夕方まで働いて、その後夜行バス乗って大阪もしくは東京とかよくありました


バイト先の主婦には「え、また行くの⁉」て毎回ツッコまれてましたけど笑

私「さっき大阪から帰ってきた」というと
主婦「なにやってんの⁉」と驚かれたりと

1年も経てば「今度は現場いつ?」なんて聞かれて当たり前になってたりしてましたね笑


ご覧の通り本当に全国各地飛び回らせえていただきました

そしていろんな方と出会わせていただきました

確実に人間力はかなり磨かれたなと感じます

ジャニヲタを通じて、どんどん新しいことに挑戦したり

できることが増えたりと全てが悪い方向に進んだかと言われるとそうではないですね

おかげでいろんな地域の土地勘も身についたし笑

ありがたいです


初めて本当の友達ができたなとも感じました


疲れてませんか?

私は疲れてきました笑

3時間超えました笑

あともう少しで終わると思います


出会いもあれば別れもある

順調なジャニヲタライフと思ったのも束の間…

まずは、有岡さんとの別れです

2017年に現在彼の妻である松岡茉優さんとの熱愛が報じられた際、私大爆発しまして

怒り奮闘し、その怒りに任せて担降りしました
☑担降り=その人のファンをやめること

現在は、幸せそうでなによりです笑

一途な人を応援しててよかったなとも思いますし笑


ただ、私には当時徐々に愛情が出てきていたサブがおりましたので

早急にシフトチェンジですね

ほぼ、掛け持ちをしてない状態になったため

全てのエネルギーを西畑さんだけに注いでいました


後は、自ずと訪れるヲタ友達との自然な別れ

・担降り
・生活の変化(20歳でやめる子も多い)
・環境の変化
・担当の状態
ext.

あらゆることが原因でタイミングが合わなくなり疎遠になっていくなんて話は、そう珍しくありません

だからこそ、出会える人は本当に縁でしかないんだなと感じますし

人との縁は大事にしようと心から思うきっかけともなりました


母への感謝の気持ち

母親が大好きかと言われると、正直そうではないのですが

感謝はしております、本当に


基本、マリメやヤフオクの場合は必ず送り迎えしてくれましたし
(時間が会えば)
☑マリメ=マリンメッセ福岡
☑ヤフオク=みずほPayPayドーム

ヲタクのことに関しては協力的でした


現場の感想も毎回ニコニコしながら聞いてくれましたし

テレビも同じいの観てるのに、何一つ文句を言わず一緒に鑑賞してくれたり

無理やりメンバーの名前覚えさせたり、メンカラまで覚えさせたり…

今となれば、すまん…て感じです汗


今少し大人になってみて、ずっと暗い顔で引きこもって生きていた学生時代に比べれば

生き生きと全国飛び回っている姿が嬉しかったのかもしれませんね
あと、お土産笑


なので、ヲタ活に関しては ありがとう と思います


限界ジャニヲタの末路

ジャニヲタでいることの苦しさ

正直、何事も楽しいことばかりじゃないことは分かっていますし

10代は何も考えずヘラヘラヲタ活していたところはあります

ですが、年を取るにつれて、考えることは自ずと増えますし

環境も変わっていきます


やはり”ジャニヲタ”というだけで印象が悪くなったり

社会に馴染もうとすればするほど

その存在が邪魔して仕方がなかったなと今でも思います


始まりも”あるきっかけ”ではありますが

終わりを迎える際も様々なタイミングが重なり合うものだなと強く思います


自分が怖くなった

限界ジャニヲタでいる時期

戦友は就職などといった、環境がガラリと変わる時期で

ある時から現場で落ち合うということは自然となくなりました


私はというとまだヘラヘラしている時期ではあったので

毎日Twitterに張り付いて平凡なジャニヲタライフを過ごしていました


ただ、ある日異常かもと感じた出来事があったのです

皆さん
・オリキ
・追っかけ
・出待ち
ext.

そのような度を越えたヲタもいるんですが

なりかけてた…というか半分足をツッコんでたところはあるんですね


正直、何をしていたかというと

・Twitterに出回る遭遇情報
・タレントの持ち物の特定犯
・闇写を観漁り
・裏情報を嗅ぎまわる(見るだけ)

エンタメを楽しむというよりかは、その人のパーソナルな部分を知りたがるようになっていました

一種のストーカーのような…


そこまで来るとたぶん、楽しさとかではなく単なる

自己満と独占欲

なのです


他の記事を読んで頂いている方なら察することもあるとは思いますが

探求心と分析力には長けている方だと思っています

そのため、その分野の活かし方を間違えると誤った道を進むことにもなりえないのです


2度程、ヲタのチケットトラブルで警察にお世話になることもありましたし

まともな人だけが存在している世界ではないという教訓になりましたから

自分の身は自分で守る精神が人よりもやや強いのかなとは感じます


ですし、情報の取り扱いにも注意が必要だなともつくづく感じました

1つのことだけではなく、視野を広くすることも必要だと思いました


自分狂ってるな、義務感でやってるな、目的がずれてきてると感じ始めたのが引退の1つのきっかけです


見え過ぎた

そこまでいろいろ調べていると知らなくてもいい情報も自然と入ってきます

そこが落とし穴でした


タレント達の素性を知れば知るほど嫌いになっていったのです

『裏ではこんなのか…』とか

ある話とある話が繋がったり

文春とまではいかない画像や動画が無数にネット上に拡散されていたりと


ジャニーさんが生きていた頃は、かなりの数の報道を揉み消していましたから

その端くれのような情報はゴロゴロと転がっているもんですね


そうしましたら、じきに何が楽しいのか、なんの目的のために感があって

初期の純粋な心も全く消えていました


慣れへの恐怖

人間、慣れます

現場も行き過ぎればルーティーン化してきます


席番分かった時点である程度どういう見え方か分かるし、相場も見当がつく

会場への入り時間の調節も混み方把握しているから困ることもないし、迷子になることもない

持っていくものも、服もメイクも、なんとなく安定してくる


多ステするのであれば、セトリも頭の中に入ってしまうし

関係のない時は、座って休憩したりもする

全身全霊で楽しむということはできなくなる
☑多ステ=同じ公演に何度も参戦すること
☑セトリ=セットリスト
☑参戦=ライブに行くことを指す


私は、そこまでしなかったですけど

中には、公演中普通にスマホポチポチしてたり

担当が来るタイミングで4人が入れ替わり取っ変わり、クルクル席移動したりする人もよくいます

というか近年より増えたと思う


なんでも慣れちゃうんです

通勤のごとく同じ道を通って現場入りし、同じ道を通っていつものホテルに帰る

バスも新幹線も飛行機も乗る部分は大抵決まってくるし


ジャニーズ側も、毎年同じことしかしない風習なので

お誕生日には決まり文句のメッセージカードが届き

忘れた頃に会報が届き

一年に一度アルバムが発売し、ツアーが行われる


何年経っても基本的なことはな~にも変わらないのです


ある意味その現状にもマンネリ化状態でありました


デビューがゴール

ジュニア担は過半数の方がデビューがゴールだと感じます
☑ジュニア担=デビュー前の子達を推す人のことを指す

事務所の売り方も変われば、推し方も変わる

シンメが変わったり、センターやメンカラが変わったり
☑シンメ=相方のようなもの

グループの編成が変わるのは、ヲタクにとってはかなりのショックで

実際私も、向井さん、室さんが関ジュを去る時は号泣して、しばらく体調悪かったですし

なにわ男子が結成された時は、素直に喜べずにいました


事務所の方針と自分の意思が違ってくると、どうにもできないので苦しくなる前に立ち去ることをオススメします
(私はかなり苦しくなるまで追っかけていました)

ヲタクは正直表のタレント達を誰よりもみてきてるからこそ、熱意が強くなりがちです


ただ、アイドルとかの傾向をみると

やはり会社を支えているのは紛れもなくヲタクである

その人達の声をいち早く取り入れたもん勝ちだなと感じます

その方がヲタク自身も満足度が上がるし、より円滑に物事が進むと思うんですけどね笑


なんせ、ジャニーズさん達は我が強いですから

何を言われようと必死こいて自分たちの意見を通すスタイルでいるから

韓国に抜かれたり、時代から取り残されたりするんだよ~て…笑
(誰かが言っていました笑)


だから、その編成などのギャップにジュニア担はついていけなくドロップアウトする方が続出するのではないかと、個人的に思っています
(現にその1人ですし笑)


ジュニアの話に火が付くと収集が付かなくなるので、ひとまずこれくらいにしときます笑



タレントも人です

環境が変われば何もかも変わります、そら、人間ですから

昔のようにガムシャラには踊ってくれなくなったなとか

私服が好みじゃなくなってきたなとか

言葉遣いや仕草までもが気になってくる


ずっと等身大を見てるからこその違和感ですよね笑

しょうがないんです


もちろん、私も変わってますから


だから、その都度その年代によってついてくれるファンもコロコロ変わって当たり前だと思います
(当時はそう思えなかった)


『なんで!!!』て思うことはもちろん多いですが

失恋じゃないですけど、時間が解決してくれるのを待つしか手立てはないのです


ヲタ活とは儚くかけがえのないものである

まとめ

ジャニヲタ期間は私にとって切っても切れない過去の思い出です

未だに辛いことや悲しいことはたくさんありますが

酸いも甘いも知るという意味では本当に貴重な経験だったなと思います


1つの”ヲタ活”というツールによってあらゆるノウハウを習得できたことは

自分にとって、かなりプラスに働いていると思います


そして、何事も

だと強く思います

だからこそ、今後の縁も大切にしていきたいなと思います


こういった話をすると「ジャニヲタ歴長いでしょ~」と勘違いされがちなんですが

しっかりジャニヲタをしていたのは、わずか2年です

ゆる~くやっていた期間を含めても約7年程ですかね

その期間がいかに濃く、印象的だったか…

だからこそ、素晴らしいかけがえのない思い出程一瞬なんです

そして儚く美しいものなのです


未だにその2年に勝るような刺激的で超絶楽しい1年を過ごしたことは、その後まだありません

明らかにぶっ飛びすぎてましたから笑

10年に一度くらいでいいのかもしれません笑


またそのような時期が来たらご報告させていただきたいと思います笑

さいごに

そんなこんなで私のかなり凝縮されたジャニヲタ歴史をご覧いただきましたが、いかがでしたでしょうか?

ここまで事細かく自分のジャニヲタ人生を振り返ったことはなかったので、とても新鮮でした

もし読んで頂けた方いましたら、本当にありがとうございます

さすがに疲れましたよね?笑

私も4時間半…疲れました笑

もし、楽しんで頂けた方がいましたら、それはそれで嬉しいです


なにか感じることもしありましたら、コメントなど頂けると嬉しいです!

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

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