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30年ぶりに視聴したドラマ「高校教師」を見て思ったことを書く⑥ 9話

1993年1月期のドラマ「高校教師」を30年ぶりに視聴しました。たまたま眺めていたTverに「昔の名作ドラマ」特集でこのドラマが置いてありました。「高校教師」は30年前のドラマで最終回には視聴率33%をたたき出すほどの話題作であり、中学生の私も楽しんでおりました。

 このドラマは令和時代において「不適切なドラマ」の筆頭で、今ではとても放送できないドラマと言われております。90年代において学校の先生と生徒が恋愛をすることを「禁断の愛」とか言われていました。それだけではなく、レ〇プだの近〇相〇だの、今じゃ絶対ダメだろっていうのも満載で再放送はまず無理だと言われています。

 でも、そんなドラマがTverで見れる。怖いもの見たさでもう一度しっかり見たくなりました。

 Tverのドラマは時間泥棒ですね。休日つぶして一気に最終回(ネットに転がってます)まで見てしまいました。高校教師も物議を呼んだラストシーンこそしっかり覚えているが、当時は見たり見なかったりでかなりストーリーが抜けてましたね。初めてみるドラマのように楽しめました。

 続きを書くのがかなり久しぶりになってしまいました。

 ここまでのストーリーはこちらです

 高校教師スピンオフここに終結する

 9話にて高校教師のスピンオフが終了いたしました。93年当時中学生だったわたしにとっては本編よりもスピンオフの京本政樹の恐ろしさに震えておりました。野島伸司の手掛ける作品がヤバいものである、ということが定着しました。93年だとバブルも弾け日本も少しずつ暗い方向に進んでいるのがあらかじめわかっているかのような感覚です。

 演技の上手な人が悪役をやるとホントに憎くてたまらなくなってしまうのでしょうね。持田真樹はしばらく京本政樹を共演NG認定しております。役者としての格だったら、持田真樹と京本政樹じゃ比べ物になりません。この格の違いが共演NGという理不尽な評価につながったのでしょう。とはいえ、演技の上手い悪役っていうのは因果な商売かもしれません。私だってあまりにも怖すぎて、京本政樹を嫌いな役者認定してしまいましたし……

 それにしても持田真樹は理不尽なトラウマを抱えながら、卒業までの1年ちょっとを過ごさなくてはならないのか。中絶の道を選んだのもこのような状況なら致し方ないと思いますが、京本政樹にとって唯一の希望を失ったのだからその絶望は計り知れないことでしょう。いくら狂っているとはいえ、わからんでもありません。

 そんなある日、桜井幸子が持田真樹の家に遊びに行って、何となくビデオも差し替えたら問題のビデオを見てしまいます。ちょっとわからんかったのは持田真樹の立場なら、ダビングされた問題のビデオを目に付くところに置かないでしょう。自分で見るなんてまずありえないだろうし、あんなものデータを消すなりして、闇に葬りたいはずです。

 とにかく桜井幸子のサイコパスっぷりを印象付けたかったのでしょう。人の家のビデオを勝手に見るものそうだし、問題のビデオも何事もなかったかのようにふるまっているけど、すべてを察してしまうところが恐ろしいところです。

 さらには本人しか知らないだろう隠し場所をノーヒントで見つけては、ロッカーを破壊してしまいます。あのような女は敵に回すとメチャクチャ恐いです。

 そして問題の視聴覚室のロッカーに例のブツが発見されます。ラベルの「93.A.N」というのは持田真樹(相沢直子)のことなんだろうけど、恐ろしいのは同じようなものが2本あったということです。ラベルを見る限り高3の先輩でまだ卒業してません。やっぱり恐ろしいです。

 これで赤井英和と真田広之にこれまでの悪事がばれてしまいます。学校内では京本政樹は開き直ってますが、内心かなり動揺しております。持田真樹の家で待ち伏せおきながら殴る蹴るで働きます。そのあとは抱きしめながら、自分の手で包丁を握り血だらけになって帰ります。まさしくDV男のやり口です。これで高校教師は激ヤバドラマであること確定しました。ここまで見てきた視聴者は目が離せなくなってしまうでしょう。

 そんな本編よりも恐ろしいスピンオフですが、京本政樹が赤井英和にボコボコにされて、二人とも退場することになります。こうしてスピンオフは一応決着がつきました。9話はスピンオフのクライマックスでした。

 高校教師の考察や批評などで見聞きするのは「京本政樹は真田広之のダークサイド」という考察です。まあ、人間誰もが表に出せないような裏の顔も持っているだろうし、頭と心で考えることはあっても決して表には出さないでしょう。

 真田広之のダークサイドって思われるところは、京本政樹が口にする「女子高生なんてもうすでに汚れている。穢れのない赤ん坊こそが愛おしい」といったところです。真田広之が本気で好きになった人が、教師と生徒の禁断の愛だったということはわかりますが、京本政樹が真田広之のダークサイドはちょっと考えすぎでしょう。

 基本的に真田広之はまじめで定められた人生からは外れないように生きている人間であり、唯一本当の気持ちに気が付いた時には、教師と生徒の不適切な関係だったという結果論であって、京本政樹のようにいろいろと妄想しているとは思えません。実はドロドロとした考えも持っているのかもわかりませんが、まあ別物として考えた方がよいと私は思います。

 謎のスイッチが入った真田広之

 スピンオフの決着は赤井英和が京本政樹をボコボコにすることで終わりました。当事者の持田真樹もことの成り行きを呆然と見ているにとどまっています。スピンオフを終わらせた桜井幸子に至っては素知らぬ顔をしているぐらいです。

 何かと面倒を見ていた赤井英和にしても正義感というには、言うまでもなくやりすぎです。そもそも大人が何発もパンチを繰り出したら立派な障害だし、下手すれば殺人につながります。いくら京本政樹が狂人だからってやりすぎです。そんなに理性を失うぐらいに殴り続けるのはいったいなんだろうか?正義感だけでは説明がつきません。個人的な憎しみだとしてもやりすぎはやりすぎです。とにかく何かと気にかけていた持田真樹に対する何かの感情のスイッチが入ってしまったのでしょう。

 スピンオフはそれで終わらせればよいのですが、これで真田広之のスイッチが入ってしまい、本編にもどります。8話のクライマックスで桜井幸子と父親との関係が真田広之に見つかってしまいます。父親はその関係を真田広之に見せつけたかったのでしょう。

 娘を持つ父親にとっては彼氏の存在は鬱陶しいという気持ちはわかります。それが学校の先生だったらくそ面白くないというのも十分理解できます。ただ、敵意の出し方がちょっと異常です。あの親子なんかあるんじゃないかというのは少しずつ感じていたとは思いますが、8話でハッキリしました。静かながらも気が付いたらジェットコースターに乗せられている感覚です。

 桜井幸子と父親との関係はヤバいのは十分察している。でも別に他人がとやかく言うことではないだろう。というのが正直な私の感想だ。

 でも、真田広之にとっては正義感以上の何かを感じたようだ。スピンオフの決着をみてスイッチが入ってしまったようだ。自宅に乗り込んでいって、父親に向かって「あなたには親の資格はない」といいながら連れ出してしまうのはいかがなものだろうか?

 あの親子の気持ち悪さは理解できる。父親に対しての嫉妬や恋のライバル心ならわからんでもないが、あの行動はちょっとおかしい。

 でも、真田広之がまともで、父親が異常者という図式が出来上がっている。本編もいよいよヤバい方向に向かってしまった。

 教師と生徒の恋愛でも異常なのに、またややこしいものを絡めないでいただきたいものです。

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