形あるものは
お久しぶりです。
ヤキソバライターです。
8月に入ってから、平日は毎日職業訓練に通っています。
10時半~18時まで、みっちりと勉強しています。
宿題もありますし、電車での移動時間も復習に当てています。
大学生のころに戻ったようです。
いいえ、大学生のころより勉強しているかもしれません。
一つ、変わったなと思うところがあります。
毎日電車に乗って移動するのが苦ではなくなりました。
無職になってからというもの、用事がなければ毎日電車に乗ることはなくなりました。
会社員時代は電車に乗ることすらストレスで、景色もセピア色に見えていました。
それが良くなっただけでも職業訓練を受けてみてよかったなと思うところです。
さて、先週末は金曜日に訓練が終わってからバスタ新宿からバスに乗りました。
目的地は、海です。
夏といえば海ですよね。
千葉県は南房総のほうまでバスに乗って小旅行に行きました。
片道1時間半くらいでした。
子どものころは車酔いが激しくて、どんなところに行っても気分が悪くなっていたワタシ。
免許を取って、自分で運転するようになってからはまったく酔わなくなりました。
これが大人になるということなのか、それとも子どものころの鋭敏な感覚を失ってしまったというべきなんでしょうか。
そんなことを考えながらバスは目的地に到着しました。
その日は一泊して、翌日は海水浴を楽しみました。
泳ぐだけでなく、SUPボードにも乗りました。
SUPとは、Stand Up Paddleの略で、ボードの上に立ったまま漕ぐ乗り物です。
これがとても楽しいのです。
女性や子どもなど体重が軽い人は簡単に立てるのですが、ワタシは割とガタイがいいほうなのでバランスを取るのが難しいです。
台風の影響で若干波が立っていたこともあり、何度か転びました。
ボードから落ちたときも自分で登らなければ誰も助けてくれません。
何度か繰り返すうちにだんだんとコツがつかめてきて、しっかりとボードの上でバランスを取れるようになりました。
そうして調子に乗っていたワタシにちょっと大きな波という自然の洗礼が浴びせられました。
そういったときにはボードの上に座り込めばうまくバランスを取れます。
しかし、とっさのときには頭ではわかっていてもなかなか身体がついてこないというものです。
ワタシは盛大にひっくり返り、海に落ちたのでした。
海面に顔を出し、誰かに見られていないかあたりを見回したとき、あることに気づきました。
そう、遠くがみえないのです。
実はメガネをかけて海に出ていたワタシ。
7月に太陽光に反応してサングラスになるレンズに交換したばかりだったメガネ。
それがなくなっていたのです。
慌てて海の中を見回すも、メガネはどこにもありません。
一緒に行っていた友だちからシュノーケルを借りて、海の中をのぞいてみましたが見つかりませんでした。
お気に入りだったメガネをなくし、ワタシは落ち込みました。
そんなとき、昔ある人から言われた言葉が頭の中に浮かんできました。
この言葉は、ワタシがまだ小学生だったときに学校の主事さんから言われました。
あるとき、掃除の時間にホウキで友だちとちゃんばらごっこをして遊んでいました。
掃除をしていたのは学校の玄関でした。
そこの柱には、卒業生から寄贈された大きな時計がかかっていました。
運悪く、その時計にワタシの振り上げたホウキがあたってしまい、床に落ちてしまいました。
表面のガラスは割れ、部品も外れてしまいました。
突然の出来事と、とっさに怒られると思ったワタシはその場で泣き出してしまいました。
大きな物音に駆けつけてきた主事さんは、怒ることなくワタシにケガがないか心配してくれ、一緒に片づけるのを手伝ってくれました。
そして、さっきの言葉をかけてくれたのです。
その時計はオーダーメイドで作られたもので、世界に一つだけの時計だったのです。
職員室で担任の先生はじめ先生方からきつくしかられました。
しかしこの言葉はワタシの中に今でも座右の銘のひとつとして残っています。
どんなものでも、たとえ人やその他の生き物ですら、形を持っている以上はいずれ消えてなくなるのです。
ワタシの母はよく食器を割る人です。
ワタシが子どものころからよく家族が使うお茶碗やコップを割っていました。
ワタシは一年と同じ食器を使ったことがないんじゃないかというくらいよく割っていました。
そんなこともあり、ワタシはあまりものに執着しない人間になりました。
大切にしているもの、高価なもの、誰かからのプレゼント。
誰しも失いたくないものがあると思います。
しかし、永遠に存在し続けるものなどこの世界にはないのです。
例えば、友だちがワタシの家に来て、洗い物をしてくれているとします。
そのときワタシが大切にしているコップをあやまって割ってしまったとしましょう。
それでもワタシは一番に友だちにケガがないかを心配してあげられる人になりたいです。
ワタシは今年の夏、海でメガネをなくしましたが代わりに真っ白な帽子を手に入れました。
メガネを探しているとき、沖のほうから流れてきたのです。
持って帰って漂泊してから洗濯し、干してみたところ新品のようにピカピカになりました。
もう少し涼しくなってきたら、かぶってみたいと思います。
生きるというのは失うことばかりではないですね。