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貴方の死に、祝福を。 4話

「もし、自分の子どもに名前をつけるなら、どんな名前がいい?」

そんな会話を、当たり前に交わすようになっていった。
まだ沙也加にはハッキリとした実感は湧かなかったものの、そんな二人の未来の話しをすることは、とても楽しかった。

「ん〜、子どもの名前かぁ・・・。あっ、でもね、猫を飼うなら、これっていうのは決めてるの」

猫かよ、と突っ込みはするものの、沙也加の言いたいことを、柔らかな微笑みで聞く姿勢をとってくれる。
「メスだったら琥珀で、オスだったら茶々丸が良い!」
「いいじゃん。何か理由あんの?」
「んー、何となく!特に理由はない!」

何となくでつけた割りには、センスの塊じゃん、なんて笑って、くだらない話しでも楽しそうに聞いてくれた。
こんな優しい人がいるんだ、と拓実と出会ってから、しみじみと感じるようになった。


沙也加は幼いころに、両親が離婚した。
父親の記憶はおぼろげではあるが、そこそこ好きだったような気はしている。
父は父なりに、沙也加に対して愛情を示してくれていたからだ。
だから、母親に連れられて、田舎の祖父母の家に越した時、不思議な気持ちだった。
周囲の人々が、父のことをまるで悪人かのように語っていたからだ。

「パパとママはこれから、別のお家で暮らすことになったの。少し離れることになっただけで、パパが沙也加のことを嫌いになった訳じゃないの。ママ、沙也加に寂しい思いは、絶対にさせないから。・・ごめんね」
と母は言った。母は沙也加の前で、父のことを悪しざまに言うことは、決してなかった。

田舎というのはコミュニティも狭く、娯楽が少ない。故に、噂が浸透する速さも異常で、その密度も濃い。
その考えが偏見だと思う気持ちもあるが、その町民達の噂話によって、幼い沙也加の心がじわじわと傷つけられていったのは事実だった。

「あの子が、木村さんとこの出戻った娘の・・」
「そ〜よぅ。あの、旦那が他所で女作って、離婚したっちゅうとこの」

これ、そんな大っきな声で言うたら、あの子に聞こえるやろ、そう言いながら、下卑た笑い声を出す人々は、珍しくはなかった。
親から聞かされたことはないのに、二人の離婚理由は他人から聞いて知った。
人というのは、誰かが失敗することが、楽しくて堪らないのだと、その時悟った。
一度失敗してしまったら、ここでは一生笑われるのだ。

木村沙也加は、浮気されて捨てられてシングルになった母親の、愛情が足りない可哀想な娘、という人間として、そこにいなければならなかった。

母は看護師の資格があったので、すぐに、町の小さな診療所で働くことになる。

祖父母は沙也加を精一杯の愛情をもって可愛がってくれたし、母の一生懸命仕事を頑張る姿を、間近で見られるのも好きだった。地元に帰って、母の話し方が方言に戻っていくのも、母が生き生きとし出したようで、嬉しかった。

なのに、可哀想、という視線はどこまでも付き纏った。
沙也加は父親のことを、嫌いでいなければならなかった。

家の中では、皆を心配させまいと明るく振る舞っていた。
けれど一歩外に出れば、心は貝のように頑なになっていった。

高校生になったら家を出たい、と言い出した時、心配する様子はあったものの、母は止めなかった。

「お母さん、看護師やけん。稼ぎも、まあまあは、あるけんね。お金の心配はせんでええから、沙也加の好きに生きたらえい」
そう言って得意げな風を装った母も、外での沙也加の様子に、心を痛めるところがあったのだと思う。

駅に向かう車の中では、あれやこれやとうるさい位だった。
自炊しなさいとか、不審者に気をつけなさいとか、耳にタコが出来るくらい聞いた。

いざ電車が着いて出発する段になると、途端に目を潤ませだし
「ごめん、・・ごめん。沙也加、ごめんね。もうお母さん、それしか言えん。沙也加のこと、たっくさん傷つけて、ごめん」
走り出した電車の窓から、止めどなく涙を流す母の顔が見えた。
どんどん姿が小さくなっても、見えなくなるまでそこにいた。手を顔で覆い、その細い肩を震わせて、母はきっと、ずっとそこにいた。

昨日の出来事の影響だろうか。拓実との懐かしい会話の記憶が蘇った。
それから思い出したくはない、子どもの頃のことまで、夢に出て来るなんて。
寝起きざま、頬を静かに伝う涙は、何を感じて心を揺らしたのだろう。

ああ、今日が来てしまった。

拓実がいない世界で朝を迎えてしまったことに、絶望してしまう。

そして昨日までのことが嘘じゃないと、その現実を突き付けてくる天使達は、今日も立派に存在していた。
何やら騒音を感じて目を覚ましたのだが、二人して真剣に朝の報道番組に見入っていた。

「なるほど、人間はこんなくだらん事を、朝から至極当然のように頭に入れているのか」

「今から学校や仕事という辛い現実に立ち向かうんだから、こんなちょっとした癒しに心が和まされたりするんだよ〜」

来客用の小さな丸椅子も引っ張り出して勝手に寛いでいる天使達に、感傷も何も吹き飛ばされる思いだった。

昨日の出来事の影響からか、二人への敵意は、目覚めたらほとんど無くなっていた。

流行りのお洒落な家具屋さんで買った、足の長い白い丸テーブルと、セットで買った丸椅子3脚。

改めて3人で座り、沙也加は二人の顔を交互に見る。朝からびっくりするほど美しいな・・と寝ぼけた頭で考えながら、口を開く。

「あの、昨日からずっと、迷っていたことがあって」
言いづらそうにする沙也加に
「ハイハイハイハイ、何でしょ〜」と癪に障る相槌を入れてくる天使を無視して言う。

「あの、二人の呼び方なんですけど。昨日から、女とか男とか、銀髪天使とか金髪天使とか金髪野郎とかって、心の中で呼んでいたんだけど」
「いや金髪野郎って少し聞き捨てならないよね?」
その声も無視する。

「名前が無いと呼びづらいし、何でもいいって言ってたから。銀髪さんの方が琥珀で、金髪さんの方が茶々丸ってことでいいですか?」

琥珀と呼ばれた方は、ふん、と事もなげに頷くが、茶々丸は違和感があったらしい。

「俺のどこらへんに、茶々丸要素があるってんですかい」
そのサラサラの美しい金色の髪を、無駄に手でたなびかせたりしている。

「私も拓実も、猫ちゃんがとても好きだったんです。だから一緒に住むようになったら、保護猫を飼おうねって約束してて。女の子だったら琥珀、男の子だったら茶々丸にしようって、そんなことを急に思い出して・・」

「想いが込められた、良い名だな。仮初の名ではあるが、しばしの間でも拝借すること、感謝する」
「右に同じです」
何はともあれ、呼び名が決まって良かった。

あともう一つ。
「拓実は、未浄化の魂には・・・」
「なっていない」

即答だった。
それは安心できるようで、寂しい気持ちもあった。
辛い気持ちを抱えて、一人彷徨っていると思うと苦しい。
けど、心残りも無く、浄化してしまっていたのだとしたら、寂しい。
詩織さんの魂と相対して、複雑な気持ちを抱えてしまっていた。

「多分、まだしばらく、いるんですよね?・・私のそばに。
昨日のことも、私が琥珀さんの杖を折ったことと、関係があるんですよね・・」

「お前が責任を感じることは何も無い。少し事故のようなことが起きた。その後処理をせねばならん、そのようなことだ。そんなに時間もかからん」

「むしろお前のせいだろ。謝ってしかりだろ」という突っ込みに、琥珀が冷たい視線で睨みつける。

ニュースキャスターが、現在の時刻を伝える。
本当なら、もうとっくに家を出ないと、仕事に間に合わない時間である。
上司の笹木さんが、最低でも一週間は休むように、と有給休暇をフルに活用させてくれた。
それに文句を言うような人もいなかった。
改めて良い職場だな、と思う。でもどうせなら、拓実と旅行に行ったりして、全部使い切ってしまっていれば良かったな、とも思う。

「お前は人に恵まれているな」
沙也加の顔をじっと見て、琥珀が口を開いた。

ピン、ポーン。
インターホンの音が、鳴り響く。
立ち上がり、壁に備え付けのモニターを見に行く。そこに映し出されたのは、久しぶりに見る、親しい友人の顔だった。

「あんたのお母さんから電話があってさぁ。様子がおかしいって聞いたから、見に来ちゃった」

たしかに、ちょっとおかしいかな、そう言いながら、テーブルにサンドウィッチやらゼリーやら野菜ジュースやらを並べていく。

「何も食べてないんでしょ。食べなきゃ、だよ。」

お悔やみの言葉も、励ましの言葉もなかった。ただ、近くまで来たから寄っちゃった、そんな気軽さを持って、彼女はやってきた。
知夏は、昔からそんな人だった。

慣れない都会での高校生活。知り合いなんて、一人もいなかった。
クラスメイト達は友人関係がどんどん出来上がっていくのに、その中に馴染めもせず、いつも一人ぽつんとしていた。
昼食は、ドラッグストアで安い時に買い溜めする、数本入ったスティックパン。
お弁当を広げる皆の中で食べるのが恥ずかしくて、カバンで隠すようにして、コソコソと食べた。

「私のお弁当茶色いおかずばっかりでさぁ。そのパン、超美味しそうなんだけど。良かったらさ、私のおかずとちょっと交換しない?」
そう言って目の前の席に座ったのが、この田所知夏だったのだ。

知夏は昔から、何かと沙也加にご飯を食べさせようとする。
今も、食事に手をつけようとしない沙也加が、野菜ジュースを飲み切ったのを見届けてから、さっさと帰る段取りをする。
大学三年生。就活にバイトに諸々と、忙しいだろうに、合間を縫って来たのだろう。

「予定が空き次第、とりあえずまた顔見に来るから。本当、何でもいいから、口に入れなよね」

こんなに友人の食事事情を心配してくれる人は、中々いないだろう。

玄関で振り向きざま、
「あと、・・何かあっても無くても、いつでも電話して。絶対出るから。バイト中だろうが何だろうが」
そう言い残し、足早に去っていく。バイト中に電話に出たら駄目だよ知夏・・。

「言葉にはしないけど、沙也加ちゃんのこと、めっちゃ心配してるのねぇ」
よよよ、と茶々丸がわざとらしく泣きまねをする。

「昨日、言ってくれましたよね」
「ん?」
「私が望むなら、記憶を消してくれるって」
「うん」
「もしそれを望んだ時、知夏や、ほかの大切な人の記憶も消してくれますか」

隣に立つ茶々丸が、何で、と問いかけるように、沙也加の瞳を見下ろす。

「大切な人を失うなんて、二度と経験したくないから。もう、誰かを好きになったり愛したり、そんなこと、二度としたくない」

そうかぁ、と言い、その金髪を揺らし、何やら考え込む。
「ま、今すぐ消して欲しいって訳じゃないでしょ。もう少し、色々考えてから決めれば?」

この二人の存在が。
昨日体験した出来事が。
拓実の死を取り戻すことができないのだと、その現実を突き付ける。
あんなに息巻いていたのに、馬鹿みたいな自分に笑えてくる。

一度失った命は、二度と戻らない。
ただ、残された者の中に、いつ消えるか分からない喪失感だけが、その存在を増していく。

ならばいっそ、消してしまえたら、楽になるのかな。
誰かを愛した記憶を、その暖かさを。胸の中から消し去ってしまえたら。
最初から幸せを望んだりしなければ、きっと心は楽になるのかな。





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