最近拝読して涙が滲んだnote
※ネガティブな感情が多く含まれた文章です。あなたが元気のあるときに、もし気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。
はじめに
こんにちは。間(あわい)と申します。
早速ではありますが初めに断っておくと、「泣いた」というのはいわゆる心を揺さぶり感動させる「泣けるnote」を読んだからではなく、「今の自分の悩みに響くnote」を読んで画面越しに優しい言葉をかけてもらったような心地になって涙が滲んだということです。「泣けるnote」を期待してクリックしてくださった方のご期待には沿えないかな……と思います。すみません。
そして、今回ご紹介させていただくのは創作おTips様のnoteです。
なぜ私が創作おTips様のnoteを読んで泣いたかというと、最近創作活動をしている中で悩むことが多く、いろいろなことに耐えられなくなってしまい、フォロワーさんにご心配をかけてしまうのが申し訳ないと思いつつもSNSのアカウントを一通り消してしまったからでした。
持病の調子が悪化したことやホルモンバランス、私がもともと劣等感の塊であることなど様々な要因が重なってしんどくなってアカウントを消してしまって失意の底にいたとき、創作おTips様の記事を拝読し大変励まされたので、私と同じ悩みを持つ方のお力になれたらなと思いまして今このnoteを執筆しております。
このnoteを目に留めてくださったあなたにとって、少しでもお役に立てる情報があれば幸いです。
泣いたnoteのご紹介
【同人】お嬢様に訊いた「おマシュマロをもらう方法」後編③おもてなしお嬢様/おまとめお嬢様
引用させていただいた部分は、「もし無人島で誰にも見られない状況であっても創作を続けるか?」という問いへの回答です。
私はこの回答で気づきを得ると共に、救われたような気持ちになりました。というのも、私が版権ジャンルの二次創作を始めたのは今年からで、その動機の中に「二次創作をしてみたい!」というものがあったからでした。
初めのうちは「書かずにはいられない!」という溢れ出る熱量のままに文章を凄まじい勢いで書き綴っていたので気にならなかったのですが、熱が少し落ち着くと周りが見えてきます。そのときに思いました。「私はキャラクターを承認欲求を満たす道具として扱っていないか?」と。
現在書いているキャラクターのことは大好きだし、生涯をかけて愛し抜きたいと思っている。でも、私は結局「二次創作がしたくて」「反応が欲しくて」そのキャラクターを消費しているだけなのではと思うと、途端に自分の創作物ががらくたのように思えました。大好きなキャラクターに申し訳なくて、自分の作品にまるで自信が持てなくなりました。
憧れている界隈の文字書きさんたちが、「目的タイプ」であったのも私の心を追いつめました。憧れの文字書きさんたちは何万字、何十万字もする大作を書き続けられる「目的タイプ」の人でした。対して私は進捗を公開して反応をいただかないと長いお話(原稿や作品)を完成させることすらできない「手段タイプ」で。私は無人島に行ったらきっと筆を執らないし、創作を続けられない。それって結局、目的タイプの人よりキャラクターへの愛が劣るのではなんて、愛を勝ち負けで語ろうとするナンセンスな思考にも囚われました。
けれども、「パッと見『目的タイプ』の方が輝いて見えますけれど、どちらでもいいしどちらもいらっしゃるんですのよ。おじょうさまだもの。」という創作おTips様の言葉に、「ああ、私もここにいていいんだ」と思わせてもらいました。憑き物が落ちたような心地でした。
お借りしているキャラクターと原作が大好きなのは前提として、「書きたくて」「書かずにはいられなくて」という動機以外にも、「二次創作がしたくて」「反応が欲しくて」という動機も持ち合わせながら書いている節のある私のような人間がいてもいいんだな、と思えたことは私にとって大きな一歩でした。どうしても目的タイプになれなくて、恐れ多くも憧れの文字書きさんたちと勝手に比べては落ち込んで、ついには辛くなってツイートやポストも見られなくなってミュートして、そんな自分が嫌でアカウントを消して。
そういった負のループに陥っていた私を救い出してくれるような、優しく力強い言葉でした。
一応補足しておくと、別に他人が「手段タイプ」でもなんら気にならないです。けれども、こと自分となると許せなくて。自分を大切にできず常に自分を攻撃し続けて完膚なきまでに打ちのめしてしまう悪癖、何とかしたくてプロの手を借りたり本を読んだりしているのですが、どれも上手くいきませんね……。難しい。
SS・超短編作品の書き方&魅力大特集
引用させていただいた質問箱の言葉にうんうんと頷きました。悪気がないのはもちろんわかっているのですが、「少ない文字数でもたくさんお話を上げられてすごい!」といった趣旨のことを何度か言われていて。褒めてくださるのはとっても嬉しいしありがたいことなのですが、自分の中で「嬉しい」という感情と共にちくちくと棘が蓄積してしまっていました。
私は小説を書き始めてからずっと主に掌編(SS)を書いていて、そのことについて特に何も思っていませんでした。でも、今年から身を置いている界隈はある程度長さがないと顕著に数字に表れるし、憧れの文字書きさんは長編が書ける素晴らしい筆力がある人ばかりでした。そのことに加えて公募などでは十万文字書いて一人前という風潮もありますし、どうしても長編が書けない自分が劣っているように思えました。
しかし、長編を書くことに憧れや嫉妬の感情を燻ぶらせているくらいなら、勉強して長編を書けるようになろう!と前向きに行動しはじめました。
その初めての成果が、五万文字の新刊です。初めて参加するイベントが今年の十二月にあり、そこに向けた新刊を脱稿しました。
持病の調子が読めず作業できる日がかなり絞られるため早めの七月から原稿を始めて、進捗公開が功を奏し九月初旬には書き終わりました。二か月で五万文字。初めてにしては頑張ったと、脱稿したあとは達成感に包まれました。
けれども、目標の十万文字にはまるで届かなかったことに悔しさはあり。そんなときに憧れの文字書きさんが、来月には新しいお話を投稿して複数本のアンソロに参加しながら新刊も複数冊出される予定(十数万字の長編)と発表されていて、心がぽきりと折れる音がしました。
私は頑張っても所詮五万文字しか書けなくて、内容だって素晴らしいお話を書かれるその方に比べたらきっとぺらっぺらだと確かな敗北感を覚えました。その大好きな文字書きさんはお仕事をバリバリこなしながら、日々インプットも欠かさず、創作をとても楽しんでいる。その姿が眩しくて仕方なかった。語彙も表現力も文章の構成も努力量も何もかも敵わない。そのことが辛くてたまらなかった。自分軸を確立できず他人軸で生きている、私の酷く身勝手な嫉妬です。
そんなこんなで長編を書くことばかりに囚われていた私の心に、上記のnoteの一言一言が沁み入りました。掌編を好きだと言ってくださる方がいる、掌編の良さを素敵な言葉でラッピングして伝えてくださる方がいる、そのことに救われました。
そして、これからも長編にチャレンジしつつも、「できないこと」「苦手なこと」ではなく、「できること」「得意なこと」にもっと目を向けないといけないなと深く反省しました。どんどん思考が極端になって視野が狭くなり、私の文章を好きだと伝えてくださる人の言葉を蔑ろにしてしまったように感じてそれもすごく申し訳なかったです。いつも温かく見守ってくださったり、感想を送ってくださったりする皆さま、ありがとうございます。本当にどうしようもないやつですが、何とか変わろうと藻掻いておりますので、よろしければこれからも見守ってやってください。
おわりに
ここまで読んでくださりありがとうございました!ネガティブな感情が多く含まれた文章でしたが、少しでも何か心に残るものがあったら幸いです。またいつか、文章を通してあなたとお会いできたら嬉しいです。